アフリカのひと 父の肖像

  ルクレジオは世界各地を旅して特にメキシコ文化に惹かれてそこで暮らした。中南米の原住民と共同生活をして失われていく文化と風習を観察して本いう形で残した。また自身の祖先が住んでいたモーリシャスを舞台にした小説を書いたとてもグローバルな作家だ。

 

 そして彼の実父のラウル・ルクレジオもまたすごい経歴の持ち主だった。明らかにルクレジオのグローバル性は父譲りだった。ラウルは22年間、西アフリカで軍医として医療活動をした。モーリシャスで育ち、ロンドンで教育を受けて、南アフリカの英領ギアナ(ガイアナ)で2年間すごした後、カメルーンとナイジェリアの国境付近で妻と一緒に豊かな人生を過ごした。その頃が父の幸せの絶頂期だったようだ。ルクレジオを身籠ったのもその時だ。そして最終的にナイジェリアのオゴジャに落ち着く事になる。そこではカメルーンの美しい山岳地帯を馬で妻と乗り歩いたような幸福な人生は送れなかった。

 

 本書は息子から見た父の回想録だが、父の経歴がすさまじいのでとても面白い。ラウルはイギリスの植民地主義権威主義に失望していた。アジアや西インド諸島と同じように英仏の植民争いに巻き込まれたアフリカ。白人による現地の人々への傲慢な態度に辟易したルクレジオ親子。アフリカの紀行文を書いた白人の物書きは沢山いるが、どれも人種差別的な描写が目立つ。それに比べてルクレジオ親子はアフリカの人々に親身に寄り添っているように見える。だから僕はルクレジオの本が好きなのだと思う。

 

 1948年ルクレジオは8歳の時に初めてアフリカの大地に脚を踏んだ。ラウルは一人、家族をフランスのニースに残して単身アフリカで働いていたので父親と会うのは初めてだった。父親は厳格で気難しい人物だったようだ。躾の一環として父親は体罰も辞さなかった。父親が悲観的になったのは多くの現地の人々の患者の死を見届けたせいだろうと、ルクレジオは推測する。

 

 父ラウルの生きた時代は激動の時代だった。第二次世界大戦があり戦後アフリカの国々が次々と独立した。南アフリカアパルトヘイト。そしてナイジェリアのビアフラ戦争。あの戦争の惨禍をルクレジオは記している。異なる民族同士の紛争。大量のジェノサイド。大量の飢餓。後にナイジェリアの作家チママンダ・ンゴズイ・アディーチェが「半分登った黄色い太陽」でビアフラ戦争を描いているが、やはりあの戦争はナイジェリア人にとって決して忘れることはない戦争だった。