ブルターニュの歌


 ルクレジオをほど世界を股にかけた作家は他にいない。彼の先祖はブルターニュ地方からモーリシャス島に移住した人たちだ。彼の父親はモーリシャス生まれのイギリス人で、母親はフランス人。重要なのはルクレジオが先祖から代々血を引き継ぐブルトン人なのだ。フランスの北西に位置するブルターニュ地方はブルトン人の故郷だ。

 

二つのエッセイから成る本書は回想録だ。断片的な思い出の数々は非常に曖昧で真実かそれとも空想か区別がつかない。まるで夢の世界を生きているようだ。

 

「ブルターニュの歌」

 作家が少年期に毎年夏に訪れたサント・マリーヌ。彼の少年時代にはブルトン人の伝統が根強く残っていた。ブルトン語を喋る現地の子どもたち。1歳半の年上の兄と海で水浴した懐かしい日々。干潮時には海の底を歩いてさながら海底二万マイルに出てくる潜水夫のようだ。ルクレジオはとても無邪気な少年だったのでタコと友達になった。古城でのお祭り。古城は今は取り壊されいるが、確かに存在していたのだ。フランス政府によるブルトン語の少数言語への弾圧。そしてブルトン語を守ろうとするための学校。フランスのルペン、極右政治家の故郷はブルターニュ地方だった。彼の思想とは裏腹にブルターニュはとても外部の人間に寛容でリベラルな都市だった。

 

 「子供と戦争」

 1940年の戦争時に生まれたルクレジオ。彼の出生地のニースはイタリア軍が占領していた。イタリア人は優しい人達だ。ドイツ軍が来ることを告げられた一家は山岳部のロックビリエール村に避難する。戦争は飢餓との戦いだった。父親はナイジェリアに医師として単身赴任中で母親と祖母、兄と共に過ごした。一家を指揮するとても逞しい祖母と美人でイタリア兵を魅了する母親。戦争中ではあったが女性達の母性に囲まれ安心感があった。しかし戦争はどんな形であれルクレジオに暗い影を落とした。

 



崩れゆく絆

 

 アフリカ文学で最も重要な小説がアチェべの「崩れゆく絆」だった。今まで何故この本がこれほどまでに読まれているのか分からなかった。翻訳者の粟飯原氏の50頁にも及ぶ解説を読んで納得した。アチェべがコンラッドの闇の奥で描かれたアフリカ人の描写が人種差別的だと糾弾したのは有名な話。西洋人が書いたアフリカ人はどれも偏見に満ちていた。そこでアチェべ自身が新しく描き直す必要があると思った。ナイジェリアが独立する前の1958年に書かれた「崩れゆく絆」の多くの頁は白人が到来する前のアフリカを描いた。調和を重んじるで共同体社会で日本と似ているなと思った。

 

 悲劇の主役のオコンクウォは働き者で寡黙。一代で富を築き上げた一家の大黒柱だ。三人の妻を持ち自分はオビと呼ばれる主屋に住み妻や子供たちは離れに住んでいる。屋敷は赤土で塗った塀に囲まれている。自分は一家の長なのだからと妻や子供たちに暴力を振るうことも厭わない。男は強くなければいけない。第一妻の間に生まれた息子を女々しいと罵る。とても保守的な社会で男尊女卑の傾向が強い。

 

 客が来ればコーラの実でもてなす。レスリングの試合で圧倒的な強さを誇るオコンクウォは称号を持っており村の有力者だ。彼が住むウムオフィア村では甕で水を運び、人々にはイナゴの襲来が待ち受けており仮面の精霊が人に裁きを下す。独自の文化があった。因習的だったのは神託で子供が村人に殺される事だ。

 

  白人が来てからは全てが変わった。現地の人々は白人が乗ってきた自転車を鉄の馬と呼び木に縛り付けた。彼らは自分たちの信仰の布教の活動の為にやってきた。オコンクウォにとっては西洋の個人主義との初めての遭遇だ。自分の価値観が絶対に正しいと思っていて、男らしさに執着する彼と白人たちが衝突するのは当然だった。

 

 

 

 

楽園 アブドゥルラザク・グルナ

 

 著者のグルナ氏はイギリスの領土だったザンジバル島の出身。1964年の革命から逃れる為にイギリスへと渡り英語で書いた作家である。今まで読んだことがない全く新しい小説。ユスフはスワヒリ語を話す、アラビア語のコーランやラマダンには全くの無知な少年。1880年代の東アフリカ(現在のタンザニア)は植民地支配者のドイツ人がいる。彼らは現地人の兵隊を雇い恐ろしい存在だった。そしてインド人たちも大勢いた。頭に青いターバンを巻いた髭を生やしたシーク教徒は商売上手。大商人のアズィズおじさんはアラビア語を話すアラブ人。おじさんはサイイドと呼ばれていて熱心なイスラム教徒で1日に5回のお祈りをする。ユスフの親友のハリルの尊敬の対象だ。つまり当時のタンザニアは人種の坩堝だった。

 

 父親の借金の肩代わりとして奴隷として沿岸部の町で働くことになったユスフ。そこから内陸部奥地のタンガーニカ湖のコンゴ側の村まで交易するのを目的に探検に同行する。

 

 

緑の天幕

 

 リュドミラ・ウリツカヤの緑の天幕を読了。700頁を超える長編だが毎日読むのが楽しみだった。読書中、空想の中でずっとモスクワに居たようだった。ソ連政府に監視され抑圧された社会で懸命に生きる市井の人々を描いた傑作小説。沢山の登場人物が出てくる。皆それぞれ個性的で面白い。

 

 都市に住む三人の少年たちが物語の主役だ。反体制派の書物の発行に関わる毒舌家のイリヤと音楽家で繊弱なサーニャとマヤコフスキーやパステルナークの詩を愛するミーハ。彼らの先生の独ソ戦で片腕を失ったシェンゲリ先生。先生が引率する週一で行われるモスクワ市内のプーシキンやブルガーコフ、ロシアの作家のゆかりの建物を訪れる文学散歩は子供たちの楽しみだ。サーニャの祖母のアンナは教養があってミーハのお気に入りだ。

 

 ソ連時代では西側の音楽や芸術、文学は排除されていた事は知っていた。どういう風に禁じられていたのかはウリツカヤの自己体験を通じて詳細に語られる。盗聴、尾行は当たり前で家宅捜索で反ソ的な物が見つかったら逮捕される。そしてラーゲリに送られる。詩人のミーハは人一倍、思いやりが強くて優しい男だったので聾唖学校の教員を勤めて自分の仕事に生き甲斐を見つけるが、反体制派の本を読んでいた事を同僚から密告されて学校を解雇された。ミーハは裁判にかけられて三年の懲役刑に服されるが出所後はタタール人の少女を匿った罪でイスラエルへの国外追放をKGBに言い渡される。自分の信念に生きたミーハが強く印象に残った。

 

 緑の天幕には史実と実在する人物が多く取り込まれている。スターリンの葬儀で起きた民衆の圧死。スターリンの圧政によりクリミアから追放されてウズベキスタンに強制移住されたタタール人。モスクワの劣悪な共同住宅。

 

 ウリツカヤが生きたソ連という国の特異性を分かったような気がする。スターリンやレーニンは偶像崇拝の存在になっていて指導者を批判する絵や書物は取り締まりの対象になった。ソ連という国の途方もない広さ。スターリンの故郷のジョージアやバルト三国は独立前はソ連という巨大な国家の一部だったのだ。その広大な土地に驚かされた。極東ロシアには素朴な農民が住んでいる。そしてソ連国内でもユダヤ人差別があった。イスラエルに送られるユダヤ人たち。本書は極めてロシア的な本である。ウリツカヤは緑の天幕を通して自分からみたロシアの姿を綴ったのだと思う。

 

 

 

ルポ 新大久保 移民最前線都市を歩く 室橋 裕和

 

 日本に住みながら異国を体験できる街が新大久保だ。韓国系の店は勿論、イスラム横丁にはハラルフードの食材店が並び歩いていると日本に居るとは思えない雰囲気と匂いだ。外国人移住者が母国に仕送りする送金会社の店があり歩いている人は東南アジアと南アジアの人が日本人よりも多いと思う。

 

 僕は常に異文化への興味が尽きないのでこの本を片手に新大久保の街を探索した。一度、訪れるだけでは物足りない。ネパール料理やベトナム料理、韓国料理とエスニック料理が沢山、軒を並べるこの街には何度も足を運ぶ必要がある。観光地なので人の往来が激しく住みたいとは決して思わないけど。

 

 新大久保駅前にあるネパール料理屋のラトバレはかなり本格的で日本人向けに作られていない。ダルバートはとても辛かったが美味しかった。良心的な値段でダルスープとご飯はおかわり自由。僕の住む街にもこんな店が出来たらいいのにと思った。

 

 著者の室橋氏はこの街に住みながら現地の人から話を聞いて新大久保の今の姿を書いた。街にはヒンドゥー教の神社があり韓国式のホットドッグ、ハットグの露店がありベトナム人が営むガールズバーがあって、ごちゃ混ぜの様相を呈している。異文化のサラダなのだ。

 

 

少年とクスノキ

東野圭吾さんの文章とよしだるみさんの絵の組み合わせなら読むしかないと思った。

人生の教訓になる本。

絵がキレイなので何回も読み返そうと思う。

 

 

ブルキナファソを喰う!アフリカ人類学者の西アフリカ「食」のガイド ブック

 

 面白かった。西アフリカの事は何も知らなかった。世界にはまだまだ面白い事が沢山あるのだ。著者は20年間に渡りブルキナファソでフィールドワークを行なって来たブルキナファソの専門家だ。メインはアフリカのストリートチルドレンの調査とアフリカの建築物の研究だ。その合間に書き溜めた西アフリカの食文化についてのブログをまとめたのがこの本だ。

 

 日本とはかけ離れた西アフリカの食文化は興味深い。ブルキナファソで欠かせないのは何と言ってもト(練粥)だ。トはとうもろこし粉やしこくびえ粉を茹でて練った食べ物だ。杏仁豆腐のように柔らかいと言う。但しお店によっては硬いのもある。日本で食べられる蕎麦がきをイメージするといい。日本ではそば粉を練ったディドをネパール料理店で食べられる。ケニアのウガリもそうだしアフリカと言えば練粥が代表的な主食だ。しかし近年ではブルキナファソの都市部では米食が中心になってきている。田舎ではまだまだ一般的にトが食べられている。

 

 さて著者が長年、滞在して文化人類学の調査を行っているブルキナファソはどんな国なのだろうか。西アフリカ全体がフランスの植民地だった歴史を持つ。他のアフリカの国と同様に沢山の民族がいてブルキナファソではモシ語がメインに話されている。ところでフランス本国よりも西アフリカでのフランス語を話す人口が多いとか。首都のワガドゥグは食のコスモポリタンだ。食文化が盛んなセネガル料理が食べられる。セネガルのチェプ・ジェンは絶品で肉や魚の出汁で炊き上げた炊き込みご飯だ。読んでいるだけで食欲がそそる。スンバラと呼ばれる豆を使った納豆飯を食べてみたいし、羊肉の焼き肉も食べてみたい。ブルキナファソイスラム教の国なので豚肉は食べられないので、その代わりの羊肉だ。

 

 なんと言ってもセネガル料理がとても美味しい。海沿いの国のセネガルでは魚が獲れるので美味しい海鮮料理が食べられる。米食中心なので日本人の好みにも合う。著者はブルキナファソに留まらず、隣国のニジェールセネガルにも足を運び西アフリカの食文化に触れた。その結果、セネガル料理が特にお薦めだと言う。

 

 私はブルキナファソの人々に私は感銘を受けた。人々はとても穏やかで平和な国だ。ワガドゥグからは鉄道でコートジボアールまで行ける。セネガルでは客人をもてなす文化があり、来客を家に誘い現地の料理をご馳走する。