事件

 

 ルーアンのある女子大学生の望まぬ妊娠による中絶の話。この話はエルノーの実体験だろうか。登場人物の名前がイニシャルで伏せられていた。恐らく限りなく実話に近いフィクションだろう。

 

 1960年代のフランスは中絶は法律で禁止されていた。今ほど自由ではなかったのだ。ある日、生理が止まって自分が妊娠したことに気づく。彼女は貧乏大学生で勿論、子供を養う経済的な余裕なんてなかった。中絶を決意する。当然、違法な中絶の手術をしてくれる医者は見つからず、彼女は途方にくれる。妊娠させた男は彼女に全く無関心だった。

 

 彼女一人で全てを解決しなければならない。彼女の置かれた立場は悲惨だ。妊娠中絶の手術を受けて自分の身体を傷つけ、胎児の命を無くしてその上法の裁きまで受けることになる。中絶をしてくれる医者を探すのに四苦八苦する。友人からの聞き込みでパリに住む高齢夫人が中絶の手術を行っている事を知る。ルーアンからパリに出向き非合法な手術を行う。手術が成功したのかどうかは謎だが、ある日大学の女子寮で産気づいてトイレに駆け込み胎児を産み落とす。ルームメイトに臍の緒をハサミで切ってもらう。この辺りの描写は凄惨だった。ぐいぐい引き込まれて読んだ。担架で運ばれた病院で緊急手術を受け医者に罵倒される。

 

 最終的に平和な生活を送ることになるが、彼女の記憶には一生残ることになる。

 日本では戦後すぐに中絶は合法化された。この辺りは宗教の問題だ。ヨーロッパはカトリック教徒が何かと五月蝿い。生まれてくる命を奪うのは良くないという主張も分かる。しかし経済的理由や強姦による妊娠がある。私は両者の言い分を取って中絶には消極的賛成の立場だ。

 

 

すべての内なるものは

 

 初めてエドウィージ・ダンティカの本を読む。彼女は12歳にアメリカに移住したハイチ人だが、ハイチへの想いはずっと残っている。何故ならこの八つの短編は全部ハイチが関係しているのだから。私は今までハイチの事は殆ど知らなかった。勝手にカリブ海の平和な国だと思い込んでいた。島国で島の半分はドミニカ共和国でもう半分はハイチ。そのぐらいの事は知っていたが。

 最近見た海外のニュースでハイチの悲惨な状況を知って驚いた。ハイチの貧しい人たちが大勢映っていた。政治の腐敗がひどく政治が安定していない。2010年に起きた30万人を超える死者を出した大地震はハイチの人々の生活に大きな傷跡を残した。南北アメリカで唯一の最貧国に指定されているのがハイチなのだ。とても笑っていられる状況ではないなと思った。大地震の被災者はいまだに電気のない生活をしいられている。

しかしこの短編集からはダンティカのハイチやハイチ人への愛情をひしひしと感じた。

貧しいハイチからアメリカの豊かさを求めて危険極まりない船で密航する人々の話。当然、海岸沿いには湾岸警備隊が密入国者を取り締まる為に見張っている。

地震で片脚を失い妻子を失った男の物語。彼の心は決して癒される事がない。

ニューヨークやマイアミで生きるハイチ人たちの物語。アメリカではリトルハイチと呼ばれるハイチ人のコミュニティーがあってハイチ料理店で働いている人もいる。

 ハイチの貧困のレベルがどれだけ深刻なのかを物語るエピソードがある。「熱気球」という題目の短編でハイチの首都のポルトープランスの貧困地区でレイプの被害に遭った少女の回復センターで働く女性が現地の現状を報告している。レイプされた少女の中にはフィスチュラがある子たちもいた。この病気はアフリカでも報告されているが、産科ろう孔と呼ばれ未成熟な少女が医療にかからず出産、その結果、慢性的な便失禁、尿失禁にみまわれる。この物語は限りなく事実に近い話だろう。

 佐川愛子氏の巻末の解説も良かった。アフガニスタンで医療活動した中村哲氏と「熱気球」でハイチで人助けをするネアは共通しているなと思った。

 

 

 

ルクレジオはすごい。彼は世界中を舞台に小説を書いている。

表題作の「嵐」と「わたしは誰?」の二篇を収録。両方とも少女を主人公にした物語だ。

「嵐」は韓国の離島と思われる浜辺の埠頭で秘めた過去を持つ初老の男性と筋骨逞しい少女の物語。ルクレジオは今まで海をテーマに沢山の物語を書いてきたが、この二つの中篇小説もやはり海が重要な役割を果たしている。昨今のルクレジオは韓国の親しい関係にある。韓国の大学でフランス語とフランス文学を教えている。だから韓国での滞在経験から「嵐」が誕生したのだろう。父親に見捨てられた母娘は引きつけられるようにこの島にやってきた。現在ジューンの母親は島で海女として生計を立てている。だから母親に付き添われて毎日、ジューンは海を眺めについてきた。そんな時に出会ったのが埠頭で釣りをしていた、キョウだ。彼もまたこの島に縁があって30年振りに訪れている。過去に恋人のメアリーが島で入水自殺をした。悲しい記憶がある島に何故戻ってきたのか。彼はある犯罪を犯して罪悪感に打ちのめされている。海の美しい景色が彼を救ってくれると思ったのだろうか。とにかく、何らかのケジメをつけるために彼は島にやってきたのだ。彼は毎日、海岸沿いでテントを張り釣りをして自由気ままな生活を送っていた。ジューンと初老の男性との日々の邂逅。ややテーマが不透明だが海を舞台にした男女の物語で読む人は気持ちが楽になれると思う。

「わたしは誰」は韓国から一気に離れてガーナの湾岸都市のタコラディで始まる。ルクレジオを始め、欧州の作家たちはアフリカがとても身近な大陸なので頻繁に旅行に行ったりして通っていると思われる。特にイギリスとフランスはアフリカ大陸の大部分を植民地支配してきた歴史がある。だからルクレジオにとってアフリカは目と鼻の先にある大陸だ。彼はアフリカの伝統文化にもきっと精通しているのだと思う。日本から遠く離れたアフリカを舞台にした小説は新鮮で興味深い。継母に疎んじられながら育てられたラシェル。彼女の生い立ちの真実を探究する物語だ。ガーナから始まり、フランスに行きパリを彷徨いやがてまたガーナに帰る。タイトルが示す通り、これは彼女のアイデンティティーを探す物語だ。実はレイプされて孕まれた望まぬ妊娠で産まれたのが彼女だった。彼女は実母との再会では納得できずに最終的に彼女の出産に立ち会った産婆に出会うことで自分を納得させる事にした。

両方とも強い女性の物語だ。年齢は若いが精神的に成熟した大人の女性だ。

ノンフィクションでは絶対に書けない創造力を持つルクレジオの小説が好きだ。

嵐

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八十日間世界一周 上

 

 八十日間世界一周の上巻だけを読了。ヴェルヌはやはり面白いな。もし誰かの全集を読めと言われたら私はヴェルヌかな。現代の作家ではルクレジオかチャトウィンか。兎に角、旅行作家、冒険小説が大好きだ。でも、巷で溢れているノンフィクションの旅行記は所詮は現実の世界なので面白味に欠ける。実体験と創造の世界を合わせた物語が一番面白い。

 

 この本は1873年に書かれた本だ。当時はまだ民間機が普及していなかったから専ら旅行は船旅か鉄道の旅になる。今はLCCや格安航空券が出たおかげで簡単に世界一周が可能だ。以前、新書で80時間世界一周という本があったのを思い出した。移動手段こそ大分便利になったが1873年の世界もあまり現代と変わらないと思った。仲間たちと2万ポンドを賭けて八十日間で世界一周出来るから挑戦したフォッグ氏。パスポートがあって国を訪れた事を証明するために現地のイギリス領事館まで行きビザを押してもらう。 

 

 こう考えると、1930年代や1940年代はつい最近の時代にように思われる。話は物語からズレるが、第二次世界大戦はまだまだ最近の出来事なのだ。遠い昔のように思っている人もいると思うが、近代なのだ。

 

 

 

 

 

十五少年漂流記

 

 椎名誠氏が敬愛している作家のジュール・ヴェルヌ。最近私も沢山の本を読む中で自分の読書傾向が分かってきた。私も椎名と同様に冒険小説の代表者のヴェルヌの作品が大好きなのだ。世界では彼の人気がある作品といえば、「海底二万マイル」「地底旅行」「八十日間世界一周」だ。でも日本ではこの「十五少年漂流記」の方が人気が高い風に思える。「十五少年漂流記」の原題は「二年間の休暇」。随分、味気ないタイトルだ。邦題の方がいい。

 

 休暇と言うけれど命懸けのサバイバル生活だ。まず本書の冒頭の著書からの説明書きから分かるようにこの物語はダニエル・デフォーロビンソン・クルーソーから影響を受けて誕生した。ヴェルヌ流のロビンソン・クルーソーだ。あの作品は漂流物の先駆けとして今まで多くの作家たちが自分流のロビンソン・クルーソーを書いてきた。有名なところでは「フライデー、或いは太平洋の冥界」「蝿の王」。あの作品は合理主義と信仰の元で猛烈に働く大人の男の物語だが、「十五少年漂流記」も子供たちが知恵を出し合ってお互いに協力して困難を乗り越えていく素晴らしい物語だ。

 

 まず子どもたちがとても利口で驚く。年少組と年少組に分かれてそれぞれが自分の役割を果たしていく。リーダー格のゴードンは倹約家で冷静で頼りになる存在だ。もう一人の指導者的役割を担うブリアンは誠実で年少組の子どもたちからとても慕われている。そして野心家のドニファン。この3人を中心に島での生活は進んでいく。以前、この無人島で命を落としたフランス人の男の住処の洞穴に住みながら罠を仕掛け獲物を獲って料理役のモコが美味しい料理をつくる。島の全貌を探る為にちょっとした数日間の探検旅行を繰り返す。そしておおよその島の地図が完成した。時には脂を目的にアザラシを狩る。やがて島に訪れた悪党たちがきっかけで島からの脱出が現実味を帯びてくる。

 

 椎名はこの本に絶大な影響を受けた作家だ。実際に本書の舞台となったマゼラン海峡ハノーバー島にも訪れている。研究者の間では長年子どもたちがたどり着いた島がどこなのか論争の的になっている。ニュージーランドオークランドから南米大陸まで大嵐に流されて行くことが可能なのか?確かに無理がある気がする。椎名誠ハノーバー島は荒涼とした土地で物語に登場する内陸部の湖も存在しなかった。実際はニュージーランドにあるチャタム島が本書の舞台だったのだ。椎名はチャタム島にも訪れた。ここには湖があって淡水で犬たちは水を飲んでいた。正しくチャタム島が本当のモデルだったのだ。とはいえ南米大陸に存在する子どもたちが飼育して世話をするグアナコはいなかった。つまりこの物語は色々な実在する要素を取り入れてその上ヴェルヌの想像力も駆使して書かれた小説なので多少矛盾があっても気にしないで読むのが重要だ。

 

 

 

 

事件 嫉妬

 

 去年、ノーベル賞を受賞したアニーエルノーの作品が文庫化。事件と嫉妬の二篇を収録。

以下嫉妬の書評。

 恋愛のもつれ。フランス文学だなと思った。この物語はエルノー自身の実体験かフィクションか分からないが(恐らく両方だろう) 誰もが陥るような嫉妬の苦しみを見事に表現している。エルノーの作品が多くの人から支持されるのは当然だろう。嫉妬の苦しみを軽減する為に紙に思ったことを書くのだ。

 

 元交際相手の男の同棲相手に激しく嫉妬する。素性は知れず、47歳で大学教員だと分かっているだけ。後は何も分からない。男が警戒して教えてくれないのだ。語り手の女性は色々制限はあるが会うことは許されている。夜と週末を除いて。心理描写が上手い。現代のヴァージニアウルフかドストエフスキーだ。

 

 

失われた地平線

 

 シャングリラと呼ばれる理想郷がチベットの人を寄せつけぬ山奥にある。ペシャワール行きの乗っ取られた小型輸送機はチベットの山岳地帯に不時着した。乗り合わせたコンウェイはたまたま道中を通りかかった中国人の張に助けてもらう。(実際は全ては仕組まれた出来事だったのだが) 一同は視界を遮る霧を避けながら崖っぷちの道を行き命からがらシャングリラに辿り着く。 

 

 そこは正しく理想郷だった。渓谷の人々は穏やかで犯罪が少なく法律は存在はしない。皆が中庸を求めて平和に過ごしている。空気が清浄で住んでいる人々は皆長生きする。丸でトーマスマンの魔の山のようだ。(あれはスイスのダボスだったが) その上完全に俗界から遮断されているのに、西洋の近代的な設備が整っている。

 

 コンウェイ達が案内された僧院には大ラマがいる。滅多に会えないと評判の大ラマだがコンウェイとは親しく交流する。大ラマは100歳を超える大長寿でまだ健在だ。実際は200歳だとか。現実の世界では起こらない事がこの蒼い月の谷では起こる。

 

 コンウェイは世界大戦で傷を負い精神的に参っている段階だ。世界を破滅に導くもう一つの世界大戦が起きようとしている。1933年の時代背景はナチスが政権を掌握した年で、中国では日本軍の侵略が始まろうとしていた。コンウェイが恋心を寄せる、満州娘の羅珍との出会い。大ラマの秘密とコンウェイに託された思い。

 

 全体的によくまとめられている。古典として長く読み継がれているのも納得だ。でも羅珍の人物描写が少な過ぎて彼女の性格がいまいち理解出来なかった。もう少しコンウェイと羅珍のやり取りが必要だったと思う。