道化者

マンの短編を5つ収録。

マンの作品はやはり好きだな。マンは外の世界との交流を絶ち自分の世界に引きこもり孤独に生きていく。でもその環境から沢山の物語が生まれた。魔の山は大長編で哲学的な描写があって正直に言って読み難い。マンは短編集の方がいい。マンが日本でこんなに多く読まれている理由はマンの物語の人物たちへの共感だろう。

 

「神童」と呼ばれるギリシャ人少年のピアノ発表会の作品。彼の弾くピアノの演奏は多くの観客を魅了した。

 

「道化者」はマンの生い立ちや自らの体験を反映させた作品。特権階級の家に生まれ自由に育った幼年期。学校での成績はあまり良くなかった、豪商の父親が亡くなった後は故郷を離れ都会に移り住む。その間にヨーロッパ中を父の遺産で旅行した。失恋を経験したとても内向的な青年。繊細で敏感な青年だが自己憐憫も深い。とても静かな物語。一人でゆっくりと読んだ。

 

「堕ちる」は舞台女優に恋をした学生の物語だがマンが19歳の時に書いたと言うから驚きだ。作家としての才能は十分に見て取れる。若さに溢れた作品。恋に落ちてじっとしていられず外を夜通し歩き続ける学生は少し病んでいる風にみえる。恋をした舞台女優の住むアパートメントにいきなり訪れるなんてちょっとどうかしている。しかも彼女の方は以前に学生から受け取った手紙を読んで感激して彼の訪問を好意的に受け入れる。少し現実離れした展開だが小説だから仕方がない。

 

鉄道事故

マンが実際に体験した鉄道事故を題材にした物語。

 

「逸話」

おしどり夫婦と思いきや実は夫は社交界を催す妻を憎んでいるお話。

 

 

引き潮

 

 宝島で有名なスティーヴンスンの「引き潮」を読了。コナンドイルのお気に入りの海洋小説だとか。本邦初訳。一見、浪漫の冒険海洋小説かと思いきや実はそうではない。正確には前半はワクワクするような展開が待ち構えている。タヒチ島で浮浪者のような生活を送るへリックと元船長のデイヴィスと元店員で怠惰なヒュイッシュ。三人の性格はバラバラだ。正義感の強いへリックは大学出のインテリで青年。元船長のデイヴィスは大男で豪胆な性格。過去に船員を死なせた罪で船長を首になっている。ロンドンの元店員のヒュイッシュが厄介な存在だ。明らかに二人の足を引っ張っている。

 

 三人は廃墟の刑務所を寝床にしながら食べ物を求めて島を彷徨う歩く。その日暮らしの生活だ。元船長のデイヴィスが賭けに出る。ワインを南米まで運ぶ任務につく。浮浪者はいずれはこの島では逮捕される運命だからだ。三人の男たちの船旅が始まった。

 

 途中で暴風雨にあったり船長とヒュイッシュが酒に溺れたりトラブルに遭遇する。前半部分の島の美しい海や木林の描写と比較するとこのあたりから人間の醜悪な部分の描写が多くなる。酒癖の悪い二人に呆れるへリック青年。

 

 そして後半からはガラリとサスペンス風の物語に変わる。実は任された積荷のワインのボトルの中身は全部水だった。彼らは悪徳商人に騙されていた。三人は事態を打開する為に南米行きを諦め地図に載っていない島に流れつく。

 

 その島にはアトウォーターという名の男が住んでおり島で採れる真珠を独り占めしていた。船長は真珠を横取りしようと企みアトウォーターが指示通りに真珠を渡さなかったら彼の命を奪うのも仕方がないという。物語はいつしか冒険から船長とアトウォーターとの対決に変わっていく。船長は疑心暗鬼に駆られたり人間臭い描写や内面の葛藤が多くなり心理的な小説になっていく。

 

 へリックは真面目なので略奪なんて絶対に出来ない性格だが、まだ若くて未熟だからか精神的にとても不安定だ。アトウォーターが過去に島の罪人を殺したのを本人から明かされるとへリックはパニックになった。人殺しは信用できないとへリックは言う。飲んだくれのヒュイッシュがアトウォーターに船長の作戦を酔った勢いでバラしてしまった。作戦が筒抜けになってしまった事を知らずに作戦を実行に移す船長だが既にアトウォーターは銃を携えて待ち構えていた。完全に予想外の展開だが、人間同士の駆け引きがあって面白かった。いい意味で裏切られた展開。

 

 

幽霊塔

 

江戸川乱歩の幽霊塔を読了。

最初は分からない事だらけ。謎めいた美女の野末秋子、彼女は長い手袋をはめて左手を隠している。何か秘密があるのだ。彼女は大変な過去を背負って生きている。ある者に弱みを握られて生きているので決して幸せな立場ではない。彼女を救うのは実直な青年の北川光雄。

 

幽霊塔に纏わる怪談がある。過去に養女によって殺された老婆の幽霊が出るという。そして地下には幽霊塔を建てた大富豪の財宝が眠っているという。ちょっと最初は情報量が多くて何が何だが分からなくなった。途中で最初の方を読み返したりした。

 

読み進めていくと少しずつ謎が解けていく体裁をとっている。だから先の展開が気になって仕方がなかった。江戸川乱歩は読者を物語の世界に引き込むのが上手いなと思った。ラストは全てが明るみになる。中盤辺りから最後までは一気に読んだ。納得の最後。

 

 

宮崎駿の絵が僕の想像力を補ってくれた。物語のヒロインの野末秋子の絵がいい。時計塔の機械室に佇む秋子の姿は確かに僕のイメージ通りだ。和服を着ていて冷静で上品な姿。

 

宮崎駿は少年時代に江戸川乱歩の熱心な読者だった。幽霊塔はジブリ映画の雰囲気もある。迷路があって罠があって財宝のありかを示す暗号があって歯車があってとてもワクワクしながら読んだ。宮崎駿はそのまま幽霊塔を映画化するのではなく「ルパン三世 カリオストロの城」という彼なりの幽霊塔を作った。僕はカリオストロの城も観たけど、時計塔から美女をルパンが救う設定は宮崎駿の幽霊塔だ。

 

 

愛その他の悪霊について

 

 面白い。ラテンアメリカの植民地時代に悪霊に取り憑かれたと噂される少女の物語だ。当時は教会の権力が途轍もなく強かった。侯爵でさえ司教の指示には逆らえなかった。マルケスは元々新聞社の記者でジャーナリストだったから史料を集めて歴史小説を描くのは得意だったと思う。

 

 改めて南米の人種の坩堝に驚かされる。黒人がいて白人がいて混血がいてインディオがいる。裕福な侯爵の娘であるシエルバ・マリア。両親から愛情を受けずに育った為、かなり病的で感じやすい娘になった。彼女は両親の屋敷から離れた敷地内の奴隷小屋で奴隷たちと一緒に生活した。彼女が怒ると、庭中の生き物が騒いだり海が荒れたり不思議なパワーがあった。マルケスの諸作品に通じる不可思議で現実の世界では起こり得ないマジックリアリズムも本書では随所に見られる。

 

 とにかく、当時はキリスト教の権力が絶大だ。悪霊退治で十字架を振りかざしたり、身体に聖水を撒いたり非科学的な事が多い。読んでいてちょっと恐ろしくなった。映画のエクソシストの世界に近いと思った。

シエルバ・マリアは純血を守るため結婚するまでは髪の毛を切らずにいた。床に三つ編みの髪の毛を引きずって歩く姿が思い浮かぶ。ある日、港で野良犬に噛まれ発熱の症状が出て狂犬病の疑いがあった。父親の侯爵が司教に相談したら司教は悪霊に彼女が取り憑かれたという。即刻、修道院に彼女を預けた方がいいと侯爵に忠告する。後日、狂犬病には感染していないのが分かった。

 

 父親は彼女をカリブ海に面するサンタ・クララ修道院に連れて行った。彼女を置いてけぼりにした父親とは二度と会うことはなかった。彼女は悪霊に取り憑かれているというが実際には悪霊に取り憑かれたのではなく、彼女の虚言癖が原因だった。周りの大人たちは彼女の発言を鵜呑みにした。

 

 一人孤独に修道院の独居房で幽閉された生活を送る。彼女を救うのはカエターノ神父だ。夜、こっそり修道院に忍び込み毎日のように逢瀬を重なる。彼女は正気だ。そして神父が修道院内に侵入しようとして遂に修道女に見つかって取り押さえられた。そして神父は有罪の判決を受けた。後に恩赦されるが二人は永遠に離れ離れになってしまう。

 

「愛その他の悪霊について」というタイトルは最初の方はあまりピンと来なかったが物語の終盤になってようやく理解できた。悪霊に取り憑かれたとされるシエルバ・マリアと悪霊を宗教の力で追い払おうとする神父との愛の物語なのだ。

 

 

 

ハルーンとお話の海

 初めてサルマン・ラシュディの著書を読んだ。児童文学のカテゴリーにこの小説は当てはまるが、大人も十分に楽しめる物語だ。不思議の国のアリスに出てくる、トランプの兵隊を模した様な紙の兵隊が出てくる。スーパーマリオブラザーズクッパに捕まったピーチ姫みたいに敵のアジトの砦にある城の頂上には囚われのパーチク姫がいる。王道のファンタジー小説だ。愉快で奇想天外な仲間達が沢山出てくる。水の妖精のモシモは玉ねぎのような紫色のターバンを頭に巻いている。ハルーンをオハナシーの惑星に連れて行ってくれる仲間だ。ヤツガシラのデモモは鳥の機会だがハルーンを全力でサポートしてくれる。

 

 まずタイトルを読んでお話の海?と疑問に思ったのは僕だけではないだろう。海のお話ではなくて?

物語を読まなければこの題名の意味は理解できない。お話の海がオハナシーという名の惑星にある。イッカンノオワリが率いる闇の集団にお話の海が汚染されている。ハルーンの父のラシードはお話の海から供給されたエネルギーで楽しい物語を喋るまくるストーリーテラーだった。お話の海が汚染されてしまってラシードは楽しいお話を喋れなくなってしまった。イッカンノオワリを倒す為に、お話の海を救い父親の物語る力を取り戻す為にハルーンの冒険が始まる。

 

 

 

若き日の哀しみ

ダニロ・キシュの自伝的短編小説を読破。

ユーゴスラビアの文学だ。セルビアクロアチアスロベニアがまだ分離、独立する前にあった多民族国家だ。訳者に山崎佳代子氏はベオグラード在住でキシュをセルビア語から訳した。

キシュの父親はユダヤ人で母親はモンテネグロ人。第二次世界大戦中にユーゴスラビア侵攻したナチスユダヤ人を虐殺した。当然、キシュの父親も狙われたが現地での虐殺には命辛々逃れたが、後に強制収容所に連れて行かれ帰らずの人になった。

テーマは重いが独特なアイロニーがあって面白かった。アンディという名の少年はキシュ自身であり自伝的物語だ。アンディの目を通して語られる素朴な少年時代の思い出は美しい。僕の好きなタイプの物語だ。静謐で何処か懐かしく、誰でも一度は経験したような田舎での自然や生き物との交流。

登場人物は魅力的だ。心配性の母と弟を揶揄う姉のアンナ、アンディの初恋の相手のユリア。家族構成はキシュの自身であって創作ではない。そしてアンディの飼い犬のディンゴとの友情。犬はやはりとても大切な存在だ。戦時下でも飼い主を慰めてくれる。そして最後まで飼い主に忠実でついてきてくれる得難い存在。

ハンガリーの田舎の場面から始まって徐々に戦争の魔の手が訪れる。強制収用所に連れて行かれた父親は二度と戻ってこなかったと叔母から聞かされる。

 短編集ではあるが、一冊の物語に繋がっているので読みやすかった。とても小さな物語が続いていく。

素朴で美しい小説。