幽霊塔

 

江戸川乱歩の幽霊塔を読了。

最初は分からない事だらけ。謎めいた美女の野末秋子、彼女は長い手袋をはめて左手を隠している。何か秘密があるのだ。彼女は大変な過去を背負って生きている。ある者に弱みを握られて生きているので決して幸せな立場ではない。彼女を救うのは実直な青年の北川光雄。

 

幽霊塔に纏わる怪談がある。過去に養女によって殺された老婆の幽霊が出るという。そして地下には幽霊塔を建てた大富豪の財宝が眠っているという。ちょっと最初は情報量が多くて何が何だが分からなくなった。途中で最初の方を読み返したりした。

 

読み進めていくと少しずつ謎が解けていく体裁をとっている。だから先の展開が気になって仕方がなかった。江戸川乱歩は読者を物語の世界に引き込むのが上手いなと思った。ラストは全てが明るみになる。中盤辺りから最後までは一気に読んだ。納得の最後。

 

 

宮崎駿の絵が僕の想像力を補ってくれた。物語のヒロインの野末秋子の絵がいい。時計塔の機械室に佇む秋子の姿は確かに僕のイメージ通りだ。和服を着ていて冷静で上品な姿。

 

宮崎駿は少年時代に江戸川乱歩の熱心な読者だった。幽霊塔はジブリ映画の雰囲気もある。迷路があって罠があって財宝のありかを示す暗号があって歯車があってとてもワクワクしながら読んだ。宮崎駿はそのまま幽霊塔を映画化するのではなく「ルパン三世 カリオストロの城」という彼なりの幽霊塔を作った。僕はカリオストロの城も観たけど、時計塔から美女をルパンが救う設定は宮崎駿の幽霊塔だ。

 

 

愛その他の悪霊について

 

 面白い。ラテンアメリカの植民地時代に悪霊に取り憑かれたと噂される少女の物語だ。当時は教会の権力が途轍もなく強かった。侯爵でさえ司教の指示には逆らえなかった。マルケスは元々新聞社の記者でジャーナリストだったから史料を集めて歴史小説を描くのは得意だったと思う。

 

 改めて南米の人種の坩堝に驚かされる。黒人がいて白人がいて混血がいてインディオがいる。裕福な侯爵の娘であるシエルバ・マリア。両親から愛情を受けずに育った為、かなり病的で感じやすい娘になった。彼女は両親の屋敷から離れた敷地内の奴隷小屋で奴隷たちと一緒に生活した。彼女が怒ると、庭中の生き物が騒いだり海が荒れたり不思議なパワーがあった。マルケスの諸作品に通じる不可思議で現実の世界では起こり得ないマジックリアリズムも本書では随所に見られる。

 

 とにかく、当時はキリスト教の権力が絶大だ。悪霊退治で十字架を振りかざしたり、身体に聖水を撒いたり非科学的な事が多い。読んでいてちょっと恐ろしくなった。映画のエクソシストの世界に近いと思った。

シエルバ・マリアは純血を守るため結婚するまでは髪の毛を切らずにいた。床に三つ編みの髪の毛を引きずって歩く姿が思い浮かぶ。ある日、港で野良犬に噛まれ発熱の症状が出て狂犬病の疑いがあった。父親の侯爵が司教に相談したら司教は悪霊に彼女が取り憑かれたという。即刻、修道院に彼女を預けた方がいいと侯爵に忠告する。後日、狂犬病には感染していないのが分かった。

 

 父親は彼女をカリブ海に面するサンタ・クララ修道院に連れて行った。彼女を置いてけぼりにした父親とは二度と会うことはなかった。彼女は悪霊に取り憑かれているというが実際には悪霊に取り憑かれたのではなく、彼女の虚言癖が原因だった。周りの大人たちは彼女の発言を鵜呑みにした。

 

 一人孤独に修道院の独居房で幽閉された生活を送る。彼女を救うのはカエターノ神父だ。夜、こっそり修道院に忍び込み毎日のように逢瀬を重なる。彼女は正気だ。そして神父が修道院内に侵入しようとして遂に修道女に見つかって取り押さえられた。そして神父は有罪の判決を受けた。後に恩赦されるが二人は永遠に離れ離れになってしまう。

 

「愛その他の悪霊について」というタイトルは最初の方はあまりピンと来なかったが物語の終盤になってようやく理解できた。悪霊に取り憑かれたとされるシエルバ・マリアと悪霊を宗教の力で追い払おうとする神父との愛の物語なのだ。

 

 

 

ハルーンとお話の海

 初めてサルマン・ラシュディの著書を読んだ。児童文学のカテゴリーにこの小説は当てはまるが、大人も十分に楽しめる物語だ。不思議の国のアリスに出てくる、トランプの兵隊を模した様な紙の兵隊が出てくる。スーパーマリオブラザーズクッパに捕まったピーチ姫みたいに敵のアジトの砦にある城の頂上には囚われのパーチク姫がいる。王道のファンタジー小説だ。愉快で奇想天外な仲間達が沢山出てくる。水の妖精のモシモは玉ねぎのような紫色のターバンを頭に巻いている。ハルーンをオハナシーの惑星に連れて行ってくれる仲間だ。ヤツガシラのデモモは鳥の機会だがハルーンを全力でサポートしてくれる。

 

 まずタイトルを読んでお話の海?と疑問に思ったのは僕だけではないだろう。海のお話ではなくて?

物語を読まなければこの題名の意味は理解できない。お話の海がオハナシーという名の惑星にある。イッカンノオワリが率いる闇の集団にお話の海が汚染されている。ハルーンの父のラシードはお話の海から供給されたエネルギーで楽しい物語を喋るまくるストーリーテラーだった。お話の海が汚染されてしまってラシードは楽しいお話を喋れなくなってしまった。イッカンノオワリを倒す為に、お話の海を救い父親の物語る力を取り戻す為にハルーンの冒険が始まる。

 

 

 

若き日の哀しみ

ダニロ・キシュの自伝的短編小説を読破。

ユーゴスラビアの文学だ。セルビアクロアチアスロベニアがまだ分離、独立する前にあった多民族国家だ。訳者に山崎佳代子氏はベオグラード在住でキシュをセルビア語から訳した。

キシュの父親はユダヤ人で母親はモンテネグロ人。第二次世界大戦中にユーゴスラビア侵攻したナチスユダヤ人を虐殺した。当然、キシュの父親も狙われたが現地での虐殺には命辛々逃れたが、後に強制収容所に連れて行かれ帰らずの人になった。

テーマは重いが独特なアイロニーがあって面白かった。アンディという名の少年はキシュ自身であり自伝的物語だ。アンディの目を通して語られる素朴な少年時代の思い出は美しい。僕の好きなタイプの物語だ。静謐で何処か懐かしく、誰でも一度は経験したような田舎での自然や生き物との交流。

登場人物は魅力的だ。心配性の母と弟を揶揄う姉のアンナ、アンディの初恋の相手のユリア。家族構成はキシュの自身であって創作ではない。そしてアンディの飼い犬のディンゴとの友情。犬はやはりとても大切な存在だ。戦時下でも飼い主を慰めてくれる。そして最後まで飼い主に忠実でついてきてくれる得難い存在。

ハンガリーの田舎の場面から始まって徐々に戦争の魔の手が訪れる。強制収用所に連れて行かれた父親は二度と戻ってこなかったと叔母から聞かされる。

 短編集ではあるが、一冊の物語に繋がっているので読みやすかった。とても小さな物語が続いていく。

素朴で美しい小説。

 

 

アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」

 北海道の長万部という名の駅がある。読み方はおしゃまんべ。恐らくこの駅名はアイヌ語から来ている。

アイヌ文化の入門書。ゴールデンカムイの漫画付きなので読み易い。

 昔は交易が盛んだった。アイヌ人が狩猟で熊を狩り肉を和人と物々交換して着物を手に入れた。北海道全域はアイヌが住み、現地ではアイヌ語が話され日本語を話せない人がいた。日本は明治時代に和人が北海道のアイヌ人を日本人と同化する以前まではとてもグローバルな世界だった。

日露戦争直後のアイヌの人口は約一万八百人。それから徐々に減っていく。アイヌ語自体はもう死後に近い言語だ。でもアイヌ文化やアイヌ語を復興しようという動きがある。

 北海道に留まらず、千島列島や北方四島南樺太までアイヌが住んでいた歴史がある。ここまで来ると混血が進んで非常に多様な人種が住んでいた。例えばアシリパの父のウイルクはポーランド人の父と樺太アイヌの母を持つ。シベリア流刑で極東まで送られてポーランド人だ。だからこの漫画の主役のアシリパは青い眼を持つ。漫画なのでフィクションだが、でもロシア系だったりアイヌ系のハーフは恐らく存在したと思う。

 アイヌ人の熊を崇める習慣がとても興味深い。アイヌに人々にとって野生の熊は信仰の対象だ。厳しい冬の寒さを乗り越える為の毛皮を熊は与えてくれる。そして熊の肉はアイヌ人にとっては必要不可欠だった。だから熊に感謝する。熊の頭を切り取り担ぎ盛大に祝う。アイヌの人々は宗教的な考え方をしている。自然の恵みを大事にして環境を敬う。

 

 

アイヌの世界に生きる

 

  20日間ほど北海道の十勝に住むアイヌ人女性のアイヌ語を口述筆記した記録だ。アイヌ人女性の人となりと生い立ちも書かれている。まずこの本が書かれたのは1984年で文庫化されて出版されたのが2021年。何故、今になって復刻されたのだろうか。ゴールデンカムイと言うアニメが大変人気で現在のアイヌブームの火付け役となった。だからその流れに乗ってこの本が文庫化されたのだと思う。

 

 よく日本は単一民族と言われるが実際は違うのだ。北海道にアイヌ人が住んでいた。文字を持たず独自の言葉を話す狩猟民族で自然と共に暮らしていた。それが明治時代、1900年代の初頭に本州から和人が北海道開拓の目的でやってきた。アイヌ人を日本人化させようとした。現在では中国でウイグルチベット少数民族の弾圧が日本でニュースになっているが、日本人も似たような事を昔はやっていたのだ。アイヌ人への差別や偏見があった。こういうのは日本人なら知っておいた方がいい歴史。

 

 これまで小説でアイヌの存在を僕は知ってはいたが、まだまだ謎の存在だった。池澤夏樹の小説の「氷山の南」はアイヌ人の青年とオーストラリアのアボリジニの女性を繋げたとても面白い作品だった。津島佑子の「海の記憶の物語」もアイヌ人を母親に持つ少女のお話でこちらも良い小説。

 

 まずアイヌ語の響きがいい。例えば鳥はアイヌ語でチカップと言う。ハボとは母親の事。カムイとは神様の事。アイヌの人々はとても信仰深い。特に熊をとても敬っている。狩猟民族なので野生の動物を狩って生活をする。熊は肉を届けてくれる偉大な存在だ。

 

 アイヌ女性のトキさんは、日本人の親に捨てられアイヌ人女性の義母に育てられた。北海道開拓時代には日本人の捨て子をアイヌ人が引き取るのはよくあったそうだ。18歳で結婚して家を出るまでは義母との生活の中でアイヌ語しか話さなかった。トキさん自身は自分をアイヌ人だと思っている。だからアイヌ語を誇りに思っていてこの本の著者にアイヌ語を残すために口述筆記を依頼した。でも決して人前でアイヌ語を話そうとしない。アイヌ人への偏見があるからだ。

 

 極寒の世界で著者はトキさんの家に短期間だが住む。北海道全域でアイヌ人は住んでいたが、トキさんが住む北海道内陸部の十勝は手付かずのアイヌ文化が残っていた。北海道南部の札幌や小樽は和人との交流が盛んで純粋なアイヌ文化は廃れつつあった。