藤田嗣治 手しごとの家

 

 こんなにグローバルに活躍する画家が日本にいたとは。インテリアや服装、食器類、全部自分の手作りだ。手先が器用で多才な人だったフジタ。戦前に中南米を2年間も旅したのはフジタぐらいだろう。当時、民間の航空機は無かったから船旅だ。フランス人の恋人と一緒に当時最先端だった高級品のカメラを持参して。フジタの創造力がすごい。何でも自分で作ってしまう。額縁まで自作だ。ファッションにもこだわり自分で裁縫して服をつくった。左腕には時計の刺青を入れていた。

 

 途轍もない創作意欲の持ち主だった。職業を画家と一言では言えないくらい広い範囲で活動していた。写真が好きでカメラが好きで蒐集癖があって海外を旅して手に入れたお土産を家に飾っていた。家の模型も作った。移動が多かったフジタが終のすみかに選んだのはパリ南部に位置するヴィリエ=ル=バクルにある「メゾン=アトリエ・フジタ」だった。現在は一般公開されている。

 

 フジタの代表作は女性がカフェで肘をついて顎に手を添えている画だが実はこの作品はフランスではなく短期間滞在中だったニューヨークで描いた。ニューヨークの美術館に頻繁に通い何か得るものがあったのだろう。フジタの住む場所と国は目まぐるしく変わる。フランスと日本を複数、往復して住んだ。1929年にフランスから日本に戻って来た時は16年ぶりの帰国だった。1949年に日本を離れて以来、日本には戻ってこなかった。異文化に身を置いて外部からの新しい刺激を受けて、それが創作の源になった。スケールが大き過ぎて過去の人とはとても思えない。