わたしは「セロ弾きのゴーシュ」中村哲が本当に伝えたかったこと

 

 中村哲氏のNHKのインタビュー集。年代順に体系的に書かれているので大分読みやすい。中村氏の生涯を追うには十分な一冊。この本から色んな印象を受けたがまず一番に思ったのは地球温暖化だ。2019年12月4日の中村氏の絶筆にはこう書かれている。「凄まじい地球温暖化の影響」と。

 

 日本は世界第5位のCO2の排出国だ。プラごみが多過ぎる。プラごみを燃やすと二酸化炭素が発生する。でも日本は相変わらず何の対応もせず、無駄な包装でプラスチックを多用している。我々はプラごみを減らす努力をしなければならない。先進国に住んでいると分からないが、地域温暖化の煽りを受けているのはアフガニスタンやアフリカの途上国だ。アフリカも気候変動による砂漠化は深刻だが、アフガニスタン地球温暖化による大旱魃が大変深刻だ。元々はアフガニスタンは農業国だった。自分で畑を耕して穀物を育てる。パンの原料になる麦やとうもろこし、スイカ。自給自足の生活をしてきた歴史がある。

 

 アフガニスタンは山の国だ。中村氏はその山の壮大さに魅せられてこの地で働けたらどれだけ幸せだろうかと思いペシャワールに赴いた。長年山から流れる雪解け水を頼りに飲料水や清潔な水を確保してきた農民たちだが地球温暖化による雪溶け水の減少でアフガニスタンの大地は砂漠化した。特に2000年からの大旱魃は難民を多く増やした。西側のメディアを通した情報では政治的な混乱や戦争による治安の悪化が大々的に報道されたが、現実の問題は旱魃化による水不足だ。清潔な水が取れないと、畑が耕せない。穀物が穫れない。飢餓寸前の難民や餓死者も相当出た。

 

 中村氏は最初はハンセン病の治療のためにパキスタン側のペシャワールの病院に赴任したが、やがて水不足の解決のために1600本の井戸を掘り、25万キロ以上に及ぶ用水路を拓き砂漠化した大地に緑を取り戻した。やがてパキスタンに飢餓難民として渡ったアフガニスタン人たちは中村氏の活躍を知り戻ってきた。

 

 中村氏の功績は言葉では言い表せない。アフガニスタンでの活動は35年に及んだ。65万人の命を繋ぎ亡くなる直前までアフガニスタンの復興に力を注いだ。長年、アフガニスタンで生と死の人間の姿を診てきた人だ。彼の言葉は深い。彼が常々言っていたのは「生きているのではなく生かされているのだ」「だから生かされていることに感謝しないといけない」その通り。自戒の意味を込めていつも記憶に留めて置きたい。