2004年12月に起きたのスマトラ沖地震で両親と子供2人と夫を失った著者の回想録。

 著者のスナーリ・デラニヤガラはスリランカコロンボ出身で家族でスリランカのヤーラで休暇中に津波に巻き込まれた。

 本書は2013年に出版された。何故ここまで長い年月を経て書かれたのだろうか。著者があの事故と向き合うためには時間が必要だった。時が癒してくれた。親戚やセラピストの支えが必要だった。この物語は再生の物語だ。息子2人と夫と両親の面影を少しずつ思い出す。あの津波の直後は家族を思い出す事が出来なかった。とても人に話せるレベルの出来事ではない。一瞬で身近な人を失った悲しみは彼女にとっては非現実的な事だった。

あの事故以前の記憶がどうしても蘇らない。自分の頭の中で封印している。事故直後は彼女は自殺が脳裏によぎった。ロンドンの自宅からヤーラに子供たちを連れて行った私のせいだと思った。コロンボにある実家や親戚の家で暮らしていたので親族や彼女の姉妹兄弟、友人たちが彼女を一生懸命にサポートした。自殺防止の為にキッチンの包丁を隠したり、アルコール類を戸棚に鍵を掛けて彼女の荒れた生活を止めるように対策した。それでも彼女は睡眠薬とアルコールと一緒に大量に飲んで幻覚をみた。アル中で薬漬けの状態。周りの人たちが必死でサポートした。

 彼女の解決策はたった一つで時間の流れと共に家族の記憶を手繰り寄せる事だった。ロンドンの自宅にも帰った。事故直後は入る勇気がなかった。クリケットが好きだった長男の練習道具。子供たちが背を比べて壁に引いた線の跡。夫の書斎。沢山の思い出があった。ケンブリッジ大学の学生だった頃に夫と出会い恋に落ちた。夫をスリランカに招待して島中を探索した。徐々にだが何とか過去と向き合う彼女の勇気はすごい。

 コロンビア大学で仕事に就くためニューヨークに移住した。2011年に起こった日本の大地震のニュースを目の当たりにしてショックを受けた。津波の映像をみて私の家族を奪ったのはこれだったんだと。セラピストに薦められて文章を書いた。自分の気持を整理するために。2012年にはあの事故から8年が経っているがまだまだ心の闇は消えない。でも家族と過ごした記憶を思い出す事に痛みや恐れを考えなくなった。

2012年6月22日の最後の章で物語は終わるがあの事故からそれだけの時間を要した。僕は遠い昔の事故だと思っていた。確かにスマトラ沖地震があったよなぐらいにしか思っていなかった。あの地震による津波で23万の人が亡くなった事を忘れてはいけない。311の東日本大震災でも家族や親族を失った人が大勢いるのではないか。震災文学という形で日本でも誰かが書いた方がいいと思った。人々の記憶から震災の悲劇を忘れないためにも。