青春ピカソ

 

 岡本太郎によるピカソ論だ。太郎の文体は荒々しい。そして哲学的で難しい。彼は芸術とは既成の概念を破壊する事だと言う。徹底的な破壊だ。ピカソを天才だと認めた上でピカソを超えると言うからすごい。太郎からピカソへの挑戦状だ。太郎は言う、真の芸術は情緒では無く耽美でもない。ただ論理でありのままの自然を描くのだ。論理と自然とは一見、矛盾しているように思うがその矛盾が肝心なのだ。自然とは純粋で力強いことである。

 

 パリで幼年期を過ごした岡本少年はルーブル美術館で観たセザンヌの絵に感涙した。2回目の涙はピカソの絵を観た時だった。太郎がピカソの作品を年代別に順に解説していく。彼の生い立ちや家族構成にも触れていく。勿論それだけでは無く太郎のピカソの論述は、明晰で的を得ている。これだけピカソの絵を深読み出来るのは太郎ぐらいだろう。

 

 雑誌の取材もあってピカソに会いに彼のアトリエがある南仏まで会いに行く。日本人の画家でピカソに会った事があるのは岡本太郎ぐらいではないか。アトリエでピカソと3時間みっちり話をした。ピカソ自身はユーモアのある方で人を笑わせるのが好きで真剣な芸術論なんて決してしない。呆気にとられた太郎だったが、彼の仕事量には驚かされたと言う。確かにピカソは生涯に沢山の絵を描いている。明らかに質より量の人だった。量をこなせば当然、質のレベルも高くなる。

 

 太郎はゲルニカピカソの最高傑作だと言う。スペイン内戦中のフランコ政権を支持するドイツ空軍による空爆ゲルニカは壊滅した。1937年にピカソが怒りをこめて描いたのがマドリードプラド美術館にあるゲルニカだ。実は僕もスペイン旅行に行った時にゲルニカの実物を鑑賞した。ものすごい大きさの壁画で圧倒された。うろ覚えだがゲルニカの部屋だけは撮影禁止だった。作品は言葉では表現できない。厳粛な雰囲気だった。敵を牡牛で表現したのはピカソがスペインの常夏のマラガで生まれ育ち、幼い時から闘牛を見ていたからだろう。

 

 マドリードバルセロナに住み、芸術の都、パリに親友と住むが、親友が失恋で精神的に不安定になり拠点にしていたパリを離れる。そんな影響があって青の時代の作品は描かれた。苦悩の時期だ。太郎が高く評価しているのがゲルニカが書かれた時代のピカソだ。挑戦的な自信と野心に満ちたピカソ。伝統とか古い習慣に縛られることも無く好き勝手に描いたピカソ