サルガッソーの広い海

 ジーン・リースのサルガッソーの広い海を読了。正直に言ってちょっと難解で一回読んだだけではよく分からない印象。池澤夏樹の解説があって理解出来た箇所もあるが人物相関図が複雑で誰がミスアントワネットの父親で誰がアントワネットの兄なのか(そもそも兄なんていないのに)混乱してはっきりしない。本書はどうやらこれまで文庫落ちもせずハードカバーで絶版になっていて入手困難だったようだ。それを池澤夏樹が世界文学全集に入れて広く知られるようになったのだ。リースは自分の生まれ故郷のカリブ海の島々を物語の舞台にした。リースの出身地はドミニカだ。川やマンゴーの木、太陽の光、自然豊かな土地の描写は大変美しい。しかし物語は大分残酷だ。第1章では植民地育ちのアントワネットは白いゴギブリと原住民から蔑まされ家に火を放たれ、弟は死ぬ。母親は頭がおかしくなりアントワネットと離れ離れになる。第2章では大人になったアントワネットはイギリスからやって来た婚約者と一緒にカリブ海の彼女の財産である家に滞在する。アントワネットは本当に夫が自分を愛しているのか疑っている。そんなある日にかつて母親と同郷で彼女の召使であったクリストフィーヌに相談を持ちかける。クリストフィーヌからの助言で夫を魔術にかけようとするが、夫は正気を取り戻し罠を仕掛けたクリストフィーヌと激しい言い争う。とうとうアントワネットとこの家から去ることを決める。第3章では母親と同様に精神的におかしくなったアントワネットはイギリスの精神病棟で夢か現実か分からなくなるような妄想にとりつかれる。当時のイギリスでは植民地育ちは二級市民と扱われていたようだ。現地の人からも白いゴキブリと嫌われ自分が何人なのか国籍や人種のアイデンティティーにリースはかなり悩んでいた。リース自身は17歳まではドミニカ育ちで本国に帰ってからも自分はイギリス人では無いと思っていた。彼女は自分の特殊な環境に置かれた体験を本書で表現した。200頁ほどの作品だが何回も読み直すに値する。

 

 

 

半分のぼった黄色い太陽

 アフリカから凄い小説家が出てきた。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェだ。ナイジェリア出身の作家で今はアメリカとナイジェリアを往復する生活を送っている。本書はビアフラ戦争を取り扱った歴史小説だ。あまり聞き馴れない名前だが海外ではナイジェリアの内戦とも言われている、南部に住むイボ民族がビアフラ独立を目指したがそれに反対するナイジェリア軍政府との間で起こった戦争である。フィクションとノンフィクションが混在した作品だ。本書を読んで気付いたのはナイジェリアの公用語が英語である事とナイジェリアの宗主国がイギリスである事だ。アディーチェは母国語の英語で本書を描いた。今まで欧米の英語で書かれた小説は多数、日本語に訳されて来たが今までナイジェリアの小説は見逃されていたように感じる。

 トルストイ戦争と平和ナポレオン戦争中のロシアの貴族や市民を克明に鮮やかに描いたが、本書もナイジェリアの文化や食事や飢餓、風習を丁寧に細かく描いている。アフリカの幼児の身体が痩せ細っているのにお腹だけは膨らんでいる写真をよく目にしたが、あれは幼児が栄養不足で発症するクワシオルコルという病名だ。本書は戦争と平和に負けず劣らずの名作だと思う。悲惨な戦争小説は大概暗い。それは欧米人でも日本人でも一緒だ。読んでいて悲しい気持になりいつも読後は虚無感しか残らない。しかしアフリカの人はどこか悲劇的な出来事を笑って弾き飛ばす前向きさがある。物語中に実の母親を戦争で失ったり親戚がナイジェリア兵に虐殺されたり大切な執事が爆弾で吹き飛ばされたり、他にもかなり悲惨な悪夢のようなことが起こる。しかし彼らはハミングをしたりしてどこかユーモアがある。これはアフリカの大地で育ったアフリカ人特有の陽気な性格もあると思う。そしてアディーチェのストーリーテラーとしての才能もあるのだと思う。並みの作家の長編小説はストーリーの展開が単調で途中で飽きてくることがよくある。今まで私も何度、読書を途中で放棄した事か。優れた作家はとことん読者を物語の中に引き込む。もっと続きが読みたいと思わせる。アディーチェは29歳にしてこの名作を描いたと言うのだから驚きだ。並外れて早熟なのだと思う。イギリス人作家のリチャードや主人公の双子の姉妹、カイネネとオランナやハウスボーイのウグウ、そして主人で大学に勤める学者のオデニボ。それぞれの視点から物語は語られる。オデニボとオランナの夫婦関係だったり、ひとり娘のベイビーの出生の謎だったり、ウグウが軍に徴収されてある事件が起きたり、リチャードとカイネネは恋愛関係なのに不倫が起きたり兎に角、色んな事が起きる。悲しいとか楽しい事。でも愉快でとにかく面白い。本書に出逢えて良かったと思える作品。

 

半分のぼった黄色い太陽

半分のぼった黄色い太陽

 

 

 

遠いやまなみの光

 前回、レビューした浮世の画家がとても良かったのでイシグロのデビュー作でもある本書を読了。ちょっと不明瞭な部分があって正直、解りにくい作品だと思った。悦子は外国人の男性と再婚してイギリスの田舎に住んでいて、長女の景子は自殺して次女のニキとの会話から物語は始まる。この作品も戦後の復興期の日本の長崎が舞台で浮世の画家と同様に過去の回想を用いる。最初の夫は日本人で彼との別れた経緯は全く分かっていない。悦子と現在の夫との馴れ初めも分からない。また現在の夫も物語には一度も登場しない。いくつかの不明点があっても私が最後まで読めたのはイシグロの手腕だと思う。実際にイシグロは長崎で幼少期を過ごしてから一家でイギリスに移住した。だから小説の中の長崎はイシグロの自らの体験を再現していると思われる。まだデビュー作なのでこれから上達する前の段階なのでちょっと物足りない思った。でも良作。長崎の山の麓へとケーブルカーで遠足に行くエピソードが印象に残った。情緒的で過去を振り返る懐かしさがあった。

 

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

華氏451度

 華氏451度は映画がとても良かったので小説も読んでみた。沢山の書物からの引用があるので、本好きにはたまらない物語だ。旧訳と新訳を両方持っていたが新訳の方がいいと思う。焚書って言葉はちと古臭く新訳には相応しくないので昇火という造語を使ってたのが良いと思った。まず一番驚いたのは映画版の華氏451度は小説とは大分違うストーリーになっている事だ。小説ではクラリスという少女が登場するが映画には記憶が曖昧で申し訳ないが、確かそのような人物は出てなかったと思う。また原作では上司のベイティーをモンターグが殺害する筈だがこれも映画版には無かったと思う。それでもかなりの脚色が加えられた映画版も充分に楽しめる内容になっている。勿論、原作の小説も面白い。ディストピア小説といえば1984素晴らしい新世界侍女の物語と本書が定番だと思う。その中でも一番本書が読み易いと思った。登場人物が少なくストーリーもシンプルで何よりも長編というよりは中編小説ぐらいのボリュームだからである。歴史を振り返るとナチス焚書が有名であるが、実際に本は人間に多くの影響を与えるとても重要な存在なのだ。私も焚書なんて現実の世界で起きたら多分野たれ死んでいると思う。読書は精神安定剤であり、本を読むことは生きていくためのエネルギーにもなる。

 

 

華氏451 (字幕版)

華氏451 (字幕版)

 

 

 

浮世への画家

 カズオ・イシグロの浮世への画家を読了。彼の著書は日の名残りを読んでから2作目である。以前に充たされざる者と私たちが孤児だったころを読破しようと挑戦したが、冗長だったり時間軸が急に飛んだりして混乱して途中で読むのを諦めてしまった。しかし、本書は明瞭な一本のストーリーだったので非常に楽しみながら読んだ。本書で賞も受賞していてカズオイシグロ出世作であり初期の名作とも言える。飛田茂雄氏の翻訳も名訳でカズオイシグロの第一級の翻訳である。

 読了後、非常な満足感とノスタルジアな気分に浸っていた。とても美しい小説だ。舞台は太平洋戦争終了後、1948年からの丁度戦後の復興期の日本である。画家として成功を収め美術界でも相当の権威を持っている小野の回想録である。戦前から大変な才能の持ち主でもあった小野は仲間と共に絵画修業に励みみるみる頭角を現す。自らの信念に従い師匠と決別してまでも自分の画家としてのスタイルを貫こうとする。小野自身はとても野心的な人物なのである。戦時中に愛国心を煽るような画風を描いて日本国民を悲惨な目に遭わせたのではないかと、罪悪感混じりに過去を振り返る。自分の娘の節子からの助言をきっかけに昔の旧友や弟子に会いに行き過去と立ち向かおうと決意する。小野の絵画の見方や情熱には驚くものがある。誠実で彼の人柄の良さは読者に多くの希望を与えてくれると思う。読んでよかったなと思える作品。

 

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

世界の果てのビートルズ

 またいい本に出会えた。タイトルが気に入ってずっと読んでみたいと思っていた。フォンランドとの国境付近のスウェーデン最北部の物語だ。著者のミカエル・ニエミの半自伝的小説である。スウェーデンの首都のストックホルムは縦に長いスウェーデン国土の南に位置していてニエミの出身地であるパヤラ村は首都の大都会ストックホルムから遥かに離れた場所にある僻地だ。スウェーデン最北部ではスウェーデン語では無くその地方独特の訛りのあるフィンランド語が使われている。

 パヤラ村にアメリカから来た親戚の子どもが持って来たビートルズのレコードを聴いて初めてロックミュージックに出会う。はっきり言えば田舎が小説の舞台である。凍てつく寒さと川の凍結を除けば何も無い土地で主人公のマッティはロックミュージックに目覚める。やんちゃで無鉄砲な少年期と青年期が物語のテーマである。フィンランド式のサウナで親族と我慢比べをしたり、ネズミ駆除のアルバイトをしたり、初めての女の子とのデートであったり、死んだ婆ちゃんが生き返ってきたり、シベリアに流刑された男の話だったり面白いエピソードが沢山ある。著者のニエミはパヤラ村で大変豊かな思春期を送ったのでは無いだろうか。それに加えて北欧の僻地の自然の厳しさだったり美しさが描かれていて極寒の寒さが伝わってきた。少年たちは無茶をする。密造者で何杯飲めるか競争したり空気銃で争ったり。怪我したり痛い思いもするのだがそれでも彼らは人生を楽しんでいる。

 タイトルは英訳ではpopular music from Vittula で 恐らくこのタイトルでは買わなかったと思う。邦題は世界の果てのビートルズだが実際のところビートルズは殆ど出てこない。このタイトルは訳者の意訳だと思うがとても良いと思う。好奇心が湧くタイトルだし面白そうだ。英語からの二重翻訳だが、全く問題無く読めた。本国スウェーデンで本書はベストセラーになったそうだ。

 

世界の果てのビートルズ    新潮クレスト・ブックス

世界の果てのビートルズ 新潮クレスト・ブックス