マイトレイ

 

 池澤夏樹さんが大絶賛したマイトレイ。再読だがやはり名作だと思う。

 

 カルカッタの令嬢マイトレイとヨーロッパから働きに来たアラン。嫌らしい肉欲は一切なし。誠に純粋な若者の恋物語。筆者のエリアーデルーマニアを代表する宗教学者で若い時にインドに留学した経験がある。だからマイトレイは著者の自伝的な要素を含む限りなくノンフィクションに近い小説だ。

 

 アランは現地でマラリアに感染したのを機にカルカッタの上流階級で名の知れたナレンドラ・セン技師の大邸宅に居候する。邸宅には一階にはベランダがありニ階にはバルコニーがあり屋上にはテラスがある。テラスからは彼らが住む街ボワニポールの景色を一望出来る。一階には書庫があり、いずれマイトレイとアランが逢瀬を重ねる場所になる。

 

 セン技師の長女のマイトレイとアランは徐々にお互いに惹かれ合う。食事中のテーブルの下でのふくらはぎとくるぶしの触れ合い。二人だけの秘密の愛情表現だ。マイトレイにフランス語を教えるアラン。アランにベンガル語を教えるマイトレイ。彼女がアランにプレゼントする一輪の花。そして婚約の印のジャスミンの花輪。マイトレイは十六歳の少女でアランは二十代の青年。若さゆえにナイーブでありセンチメンタルだからこそ二人はお互いの愛情を信じていた。

 

 初めのうちは自分が白人なのを鼻に掛けていたアラン。アランのインド在住のヨーロッパ人の友人たちはインドの人々をクロと呼び蔑む。しかしだんだんと現地の文化に溶け込んでいったアラン。そして逆にヨーロッパ人たちとの接触を避けるようになったアラン。一時は自分が信仰するキリスト教からヒンドゥー教に改宗しようと思うアラン。マイトレイと公に結婚するためだ。

 

 最終的には父親のセン技師に二人の関係がばれてアランは家を追い出される。マイトレイには激しい体罰を与えて自宅に軟禁するセン技師。父親が期待していた関係はアランをマイトレイの兄のような存在にしたかったのだ。

 

 家を追い出され途方に暮れるアラン。最後の彼のインド放浪の旅はマイトレイを忘れるためだったのか。一方でまだ強くマイトレイを愛していた。正反対の気持ちが同時に沸き起こり、矛盾した思考に戸惑うアラン。カルカッタを出てガンジス川を辿りヒマラヤまで足を運ぶ。最後はシンガポールに落ち着くところで物語は終わる。

 

 人種や宗教、異なる文化の垣根を超えて愛するのは可能なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

島とクジラと女をめぐる断片

 

大西洋の島に関しては疎い。日本から遠く離れたヨーロッパとアメリカ大陸の間にある海は日本人からすれば知らなくて当然だと思う。タブッキなりの紀行文。というか真実の物語と空想の物語が混ざったような不思議な読書。

 

タブッキはポルトガルをこよなく愛していたが、大西洋の島々にアゾレス諸島がある。ポルトガルの領土でクジラ漁で有名な島々だ。今は過疎化が進んでいるが、昔はアメリカとヨーロッパを結ぶ重要な要地だった。アゾレス諸島を筆者が実際に訪れて体験した出来事の数々。

 

ルクレジオとかチャトウィンの作品に近い印象を受けた。

 

世界最大の哺乳類のクジラはとても神秘的な生き物だ。鯨油をくれる、肉もくれる、昔は生活する上で欠かせない存在だった。タブッキは現地で伝統的なクジラ漁に乗り合わせたが、正しくメルビルの小説の白鯨の世界だった。汽艇で海に繰り出してクジラを発見したら汽艇で曳航しているボートで近づきベテランの銛撃ちが狙いを定めてクジラを刺す。最後にとどめを刺してから銛綱で引きずって陸まで戻る。

 

 

ハツカネズミと人間

 

 新訳感謝。新訳をきっかけに読んだ。年譜あり解説あり、とても読みやすい翻訳で文句なし。

 スタインベックの作品は「怒りの葡萄」と「エデンの東」と「ハツカネズミと人間」が有名だ。

 小柄で知的で頼りになるジョージと大柄で不器用で少しおつむが弱いレニーの物語。作品を評する上で当時の時代背景を知る必要がある。1930年代のアメリカは大恐慌で不況のまっしぐらだった。仕事がない人が大勢いた。そんな厳しい時代の社会の底辺の渡り労働者で将来への希望がないジョージとレニー。

 でも二人は固い友情で結ばれていて決して孤独ではなかった。二人には夢があった。お金を貯めていつか自分たちの土地を持ってウサギや鶏を飼って、自分たちの土地で育てた極上の物を食べて生活する夢だ。

 大男のレニーの小動物への優しさはとても美しい。ボケットにはハツカネズミを入れて歩き、子犬が好きで本当に無垢で純粋な男だ。しかし不器用過ぎる。自分の怪力のせいでハツカネズミを握りつぶし、子犬も殺してしまう。美しい物を見れば見惚れてしまい触れて手を離さない。その性格が原因でトラブルばかり起こすレニー。最後は相棒のジョージに非情の決断を下される。すべてレニーの責任とはいえあまりにも悲しい結末。

 

 

イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案 

 

 アディーチェの書く本は興味深い。僕は彼女のフェミニストを支持する。日本のある批評家のフェミニストは男性嫌悪を煽ったり、母性を否定して子供を持ちたくないと言ってクレイジーだなと思う。

 

 今まで女性の痛みはずっと見過ごされてきた。家父長制やミソジニーが日本には溢れている。世界の男女平等ランキングで日本は先進国の中では最下位。お隣の韓国より下。アディーチェの故郷のナイジェリアも日本と同様に低い位置にある。変化が必要だ。固定観念を覆すのだ。

 

 先入観はとても怖い。女は料理が上手でなければいけない。女は受け身で長髪でピンクが好きで可愛らしい人形が好き。女は結婚を周りから急かされる。

 

 僕が数年前にスウェーデンに行った時に坊主頭の少女を見かけた。てっきり坊主頭は男だけだと思っていた。ノルウェーではホテルの女性のオーナーがI love my wifeっと言った。日本はまだまだ保守的な社会で、夫婦別姓同性婚は認めていない人が多い。日本社会が少しでもフェミニスト社会に変わる事を祈っている。

 

 

戦場から生きのびて

 

 僅か12歳で内戦に巻き込まれて少年兵になったイシメール・ベアの物語。僕は彼より八歳年下だが、彼と同じようにEricb &Rakimのヒップホップを聴き育ったので他人事のようには思えなかった。アフリカの内戦と聞くと部族同士の衝突を思い浮かべるが、シエラレオネは政府軍と反乱軍との争いだった。

 

 まずシエラレオネとは何処にあるのだろうか、それすら知らない人は多いと思う。首都はフリータウン。西アフリカの沿岸沿いにある国で元々はイギリスの植民地だった。長らく内戦が起こり多数の少年が兵士として徴用された。

 

 ちなまぐさい戦闘描写はかなり読んでいて辛かった。ある日唐突に訪れる戦争の魔の手。イシメール少年は内陸部に住んでいて首都のフリータウンに住んでいる人たちよりは貧しかった。彼は隣村に友人と兄と一緒に演奏会に行く途中で自分たちが住んでいた村が反乱軍に襲われた事を知る。兄と友人たちとは仲間はぐれになり1人で森を彷徨い歩き自分と同年代の少年たちと出会い一緒に行動する。

 

 訪れた旅先の村で両親と兄弟を反乱軍に殺された事を知る。その後食糧が必要だったので生き延びる為に政府軍に雇われた。自分の家族を殺した反乱軍への復讐心に燃えていたイシメール。そして少年兵たちはコカインやマリファナを吸い薬漬けにされた。敵を殺して徐々に人間性を失っていった。生き抜く為には殺される前に相手を殺した。敵の反乱軍にも大勢の少年兵士がいた。戦争は人を狂わす。

 

 三年に及ぶ軍隊生活で身も心もボロボロだったイシメールに唐突に救いの手が現れた。ユニセフの人たちが基地に訪れてイシメールは首都のフリータウンに運ばれて心の傷を負った少年兵の更生を目指すある施設に送られた。リハビリセンターでの看護師のエスターとの出会いにより徐々に人間らしさを取り戻していくイシメール。

 

 彼は戦争後遺症を患いながらニューヨークの国連でシエラレオネの代表として戦争の悲惨さをスピーチをする機会に恵まれてアメリカに旅立つ。帰国後のシエラレオネは相変わらず政情不安定だ。武装した兵士が街を出歩き民間人を射殺する。意を決して隣国、ギニアに脱出する所で物語は終わる。

 

 戦争の物語だが、でもアフリカの美しい文化や自然の描写はとても良かった。キャッサバを食べてベランダで寛ぐ人たち。アフリカから見た壮大な大西洋の海。木にハンモックを吊るして昼寝する人々。ラッパーと呼ばれる衣服を着る女性たち。

 

 

 

 

 

 

 

アイヌと神々の物語

 

 38つの昔話。ここ一ヶ月アイヌの世界にどっぷりと浸っていた。アイヌの人々の生活に憧れている。俗世から離れて自然と調和して生きたい。自給自足の生活がしたい。アイヌの人々にとって熊は特別な存在だ。彼らは寒い冬を乗り越える為の毛皮を運んでくる。そして肉も貰える。熊は頭だけは大切に残しておき飾り立て祭壇に置く。そしてイヨマンテ(熊送り)の儀式が始まる。肉と和人との交易に使う毛皮を与えてくれる熊神に感謝の気持を伝える。イヨマンテを行わなかったら神様から罰が当たる。

 

 去年の12月に北海道の白老町を訪れた。アイヌの人たちと会った。近代的な設備の建物にアイヌ文化財が沢山展示されている。働いている人たちもアイヌの人々だ。やはり北海道はアイヌの土地だった。札幌(サッポロ)は勿論アイヌ語が由来で(稚内)ワッカナイもそうだ。土地の名前でアイヌ語は残っている。

 

 アイヌは人間という意味だ。萱野茂さんがアイヌ語から翻訳した38の昔話はどれもアイヌの文化が知れて面白い。宮沢賢治の童話に似ているなと思った。神様は身近に存在していた。眠れば夢を通して人間に語りかけてくる。神様と人間は対等な立場なので人間は神様に命令する事が出来る。勿論、無料ではなくイナウ(木で削って作った御幣)を用意しなければならない。

 

 チカップは鳥という意味で鳥の神様はカムイチカップと呼ばれる。鳥の神様はフクロウの事だがアイヌの世界ではフクロウはとても神聖視されていた。カムイはアイヌ語で神様の事でカムイは動物や物、あらゆる物に神様はいると考えられていた。家を守る守護神の神様や火を焚く火の神様、動物の神様も存在する。

 

 昔話なので男女の役割が分担されていた。男は狩に出て女は薪を集める。コタン(村)があり村長がコタンで山のようにデカい屋敷に住む。食べ物は鮭や熊や鹿の肉。囲炉裏で火を焚き家族で囲んで暖を取る。祖父母が孫たちに昔話を聞かせてくれる。近くには山があって川が流れて動物たちの鳴く声が聞こえてくる。イナウを削って神様に送り敬う。いつか萱野茂さんの故郷の二風谷にも行ったみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にごりえ 樋口一葉

 

 樋口一葉は日本のジョージ・エリオットか、ジェーン・オースティンか。とても思慮深い作風。百年以上前の小説だが全く衰えない新鮮さがある。現代でも通用する面白さがある。流石、五千円札の肖像に選ばれた人だ。

 わずか二四歳で夭逝した一葉だが、彼女の視点はとても成熟している。人間の人格描写が鋭いなと思った。明治時代にタイムスリップしたい。過去へのノスタルジーは無くて冒険するような気持で読んだ。一葉が描く明治時代の日本はとても貧しい。実際に日本は貧しかった。物悲しい雰囲気がある。貧しい境遇で生きた人たちを克明に描いている。

 表題作のにごりえはお酌を生業にするお力という女性を描いた物語だ。今の日本と女性の扱いはあまり変わらないが明治時代の日本女性はもっと厳しい立場だった。結婚した女性は家内と言われるが正しく家の人だった。男は外で働き女は男をお酌する。若しくは家で内職をする。今で言うホステスのような職業に就いているお力。身寄りはなく家庭を持つ気もなく酌婦として働いている。

 そんな彼女に貢いで家庭を顧みない源七。彼女の新しい恋人の結城朝之助。菊の井の看板娘であるお力。明治を舞台に鮮やかに描かれる人々。