パワナ くじらの失楽園

 

 ルクレジオの冒険小説が大好きだ。彼は世界中を舞台に物語を創作した。

 インディアンは鯨の事をパワナと呼ぶ。帯にはこう書いてある「愛するものを殺すことができるのだろうか。」てっきりこれは人と鯨の友情を描いた小説だと思った。しかし違った。この物語は捕鯨の物語だ。捕鯨と聞いて直ぐに思い浮かぶのはやはりメルビルの白鯨だろう。この物語はルクレジオの白鯨へのオマージュだ。白鯨が刊行されたのは1851年で、当時は捕鯨の全盛期だった。パワナは2人の男の回想という形で物語が進む。

 

 1人はジョンという名のインディアンで彼の出身地はナンタケット。この土地の名を聞けば頷く人もいるだろう。何故ならこの地で白鯨の語り手がエイハブ船長の船に乗り込んだ。ジョン18歳でナンタケットを去り捕鯨船に乗り込み太平洋に面するメキシコのバハ・カリフォルニアに向かった。その捕鯨船リオノー号の船長がもう1人の過去を回想する人物で名前はチャールズ・メルヴィル・スカモンだ。実在したアメリカの捕鯨家だ。時は1856年で捕鯨で生計を立てる人が多くいた時代。白鯨の時代と一緒。

 

 スカモン船長は克鯨の隠れ処を探して船を南下する。やがてある潟湖(せきこ)で鯨たちの住処を発見するが、同乗していた水夫のジョンに鯨を愛しているのに何故殺そうとするのかと問われる。スカモンは後に後悔するようになる。確かに鯨の住処の第一発見者は自分だが、後にノルウェー、ロシア、日本から多くの捕鯨船がその潟湖を目指して行き鯨の殺戮が始まった。まさに血の海だった。 

 

自然を守るか。捕鯨で富を得るか。難しい問題をルクレジオが最後に残した。