ジャック・ドフニ 海の記憶の物語 津島佑子

 初めての津島佑子の作品を読む。タイトルに惹かれて図書館で借りた。抜群に面白い小説。でも知らない知識が多過ぎて辞書を片手に読み続けた。手強い読書だった。この小説を読む上で欠かせないキーワードは「アイヌ」「キリシタン」「マカオ」である。いつだって僕は冒険物が好きだ。特に主人公がまだ10代の若者なら尚更だ。正しくタイトル通りこれは「海の記憶の物語」だ。この小説は二篇の物語から成りなっている。

 一つは現代の物語。自分の子供を失った過去を持つ、シングルマザーの私。北海道の地でサハリン少数民族ウィルタのゲンダーヌ(日本名は北川源太郎)に出会う。ゲンダーヌさんは日本の戦争に駆り出され、国から自然という神様の代わりに天皇に忠誠を誓えと無理矢理、日本人になって戦地に赴いた。その後の敗戦、シベリア流刑、日本には何とか帰ってこれたが日本の戸籍を持っていなかったので軍人恩給も受け取れなかった。ずっと一人称の視点で語られる「私」は北海道の自然とアイヌの歴史とゲンダーヌさんが館主の日本の少数民族の博物館の入り口で息子と撮った写真を思い出に今日まで生きていた。不慮の事故で失った息子の「だあ」の遺影もその写真が使われている。過去の追想の物語だ。

 もう一つの物語はずっと遠い昔の物語。1620年前後から始まる壮大な物語。丁度、日本のキリシタンが迫害された時代。ザビエルが日本に初めてキリスト教を広めてからまだそんなに時間が経っていない時期だ。

カップ(チカ)はアイヌ人の母親を持つ。日本人の男に乱暴されて母親のハポはチカを身籠り、そして産んでハポは間もなく死んだ。母親を失ったショックで幼少期は全く言葉が喋れなかった。頭が少し足りないと周りから心配されていた。大昔は北海道は蝦夷地と呼ばれていてアイヌ民族が住んでいた。彼らはアイヌ語を喋り独自の文化を守ってきた。日本人との交流もあった。日本の軽業連中に育てられたチカは西洋人のキリシタンに買い取られた。不思議な出会いだった。船に同乗中、チカはその西洋人の腕の温もりに引き寄せられた。彼はチカを天使と呼んだ。運命の出会いだった。そしてチカを救ってくれたもう一人の人物と津軽で出会う。ジュリアンである。日本人の両親の元で生まれたジュリアンはキリシタンで、キリシタン狩が横行しているミヤコから逃れて家族で津軽までやってきた。ジュリアンには夢があった。キリシタンの本場であるマカオで学業を修めて一人前のキリシタンになる事だ。チカとジュリアンの海の旅の始まりだ。二人で目指すの常夏の南の大地マカオだ。

 ここから物語が始まっていく。チョウセン人のペトロもマカオ行きの船に同乗する。マカオでは洗濯物係の仕事を手に入れた。ジュリアンは学業に忙しくマカオでは殆どチカと会うことが出来ない。南に位置するマカオの気温はチカが育った蝦夷地の雪が降る寒い地域と比べると全く違う世界だ。とても暑い。それでも海は綺麗だ。海を眺めるのが好きなチカ。赤ん坊の時に聞いた母親の子守唄を思い出す。何年か生活してからマカオで日本人を追い出す訓令が出され、仕方なくチカはマカオで知り合ったナポリ人の父親と日本人の母親を持つ、ガスパルと一緒にジャワ島まで逃げる事になる。ジュリアンは学校に通って立派なキリシタンになったので特別にマカオに残る事を許可されたので、チカとはお別れだ。

 無事、ジャワ島に着いたチカは現地で四人の子持ちになる。ジュリアンには手紙を書いて、上の二人の子供たちはチカの故郷の蝦夷地に密航して無事、現地のアイヌ人に歓迎された事を伝える。チカがずっと歌っていた、アイヌの歌を子供たちが聴き継いでいたので歌を歌えば直ぐにアイヌ人の人達は歓迎してくれた。チカの母親のハポが歌ってくれた海の歌が孫まで伝わって遂にアイヌの故郷の蝦夷地まで帰ってこれたのだ。チカはジャワ島で病気になり寝たきりになりながら海の歌を歌ってた。

 

ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語

ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語

  • 作者:津島 佑子
  • 発売日: 2016/05/02
  • メディア: 単行本