太平洋の防波堤、愛人 ラマン、悲しみよ こんにちは

  長らく積ん読だった河出書房の世界文学全集のサガンとデュラスの作品を読了。監修は池澤夏樹だが彼のセンスの良さには畏れいる。彼の全集を全部読めばそれだけで世界中に旅行に行った気分になれる。この全集には異文化への理解も多い。デュラスは彼女の出生地であったベトナムを物語の土台にして作品を書いた。ミルチャエリアーデのマイトレイはインドで下宿生活を送る事になった西洋人とインド人女性の恋愛が描かれているが、デュラスの愛人 ラマンは富裕な中国人青年と乏しいフランス人女性の恋の話である。国境を超えた恋愛とか異なる人種間の衝突や理解はやはり読んでいて面白い。愛人ラマンは突然、舞台がパリに変わったり誰かの回想が始まったりやや難解な小説だ。もっと省いて小説を簡潔に書けるのではないかと思った。でもデュラスはこの後期の作品でゴンクール賞を獲った。

 私は太平洋の防波堤の方が読み易いと思う。彼女はこちらの作品でゴンクール賞を獲れなかったのを悔しがっていたそうだが私も同意見だ。熱帯の東南アジアで政府の人間に騙されて使い物にならない防波堤を買わされ乏しい生活を送る親子3人は娘を金持ちの男と結婚させようとしたりして大金を得ようと必死だ。でもその男が人間的に娘と結婚するほどの器が無いと分かると結婚を反対する一面ものぞかせる。娘が彼から貰ったダイアモンドの指輪を高値で売るために街に繰り出したりする母親の行動力はすごい。母親と娘と息子の親子の物語だ。政府の人間に何回も騙されているので疑い深くなっている。息子は人妻と一緒に家を去ってしまうし家庭内暴力を振るっている母親は病気がちで精神的に不安定だ。あくまでも物語の主人公は娘のシュザンヌで彼女からの視点で描かれている。結局、港のバーの友人と結ばれたりするシュザンヌだが、殴られても母親への愛情を持ち続けている献身的で良い娘だ。ラストの展開はこの親子の絆の深さを感じた。デュラスは多作で映画監督もしていて非常に感受性の強い人だ。広島に原爆が落とされたと知って気絶したり夫がナチスドイツの強制収容所からガリガリの姿で帰ってきた時も気絶した。

 悲しみよこんにちわはサガンが18歳の時に書いた小説だ。私は何回も読む通したい本に出会えて嬉しい。僅か18歳でこれだけ巧みに上手く描けるのには驚いた。小説家でも何でも天才肌の人は非常に早熟であると思う。一貫性があって寸分の無駄のない小説だ。ついでに言うと彼女のペンネームのサガンは彼女が敬愛しているプルースト失われた時を求めての登場人物から借りたようだ。

 

 

 

トルストイ 文読む月日 上

トルストイの代表作といえば戦争と平和だっりアンナカレーニナだったり膨大な長編小説で読破するのに時間が掛かる。正直にいって読むのが億劫だ。でも文読む月日は短編も入っているので大変読みやすい。トルストイの短編を読むだけでも十分に彼の魅力に触れられる。謙虚、隣人愛、反戦主義ベジタリアンの精神、動物へ愛情、寛大、弱者への同情だったりトルストイの思想の集大成が本書である。 数多くの偉人たちの金言を365日一年を通して日付式で毎日読めるように書かれている。だから所々拾い読みしても構わない。今日の日付の箇所だけ読むだけでもいい。一週間の読み物だけ読んでも面白い。
訳者の北御門二郎氏はトルストイの思想に共感し兵役を拒否、故郷の熊本の山に籠りトルストイの言う通りに農業に励みながらトルストイの書物の翻訳に没頭した。彼が一年数ヶ月を掛けて翻訳した本書は長年読み継がれていく大切な書物になったと思う。上巻は1月から5月まで。最後の頁のレッシングによる金言が一番、印象に残った。
感謝の喜びこそ最大の敬神である。レッシング。

 

 

再読 インドへの道

  インドへの道が書かれてもうすぐ100年になろうとしている。1924年に本書は書かれた。3年ぐらい前に読んだが細部まで詳しく覚えていなかったので久しぶりに再読した。何回でも読み直したくなるぐらいの面白さがある。

 現在はグローバルの時代だ。航空券が安くなったのもあるだろうが世界中、気軽に旅行に行けるようになった。スカイプとかラインのおかげで人との距離がぐっと近くなった。逆に人種間の衝突も増えたのも事実だ。そういう時代だからこそ本書は読まれる必要がある。残念ながらインドへの道は絶版になっていて入手しづらい。再版を願うばかりである。

 フォースターは100年前に既に東洋と西洋を結び付けるのを可能にしていた。インド人の親友がいてインドにも長期滞在して異文化かを理解する努力をしていた。本書もその大切な友人のために書かれたのだ。チャンドラポアという架空の都市でフィールディング学長とインド人のアジズの友情を見事に描いた。 アジズを信じているムア夫人。彼女はアジズの無罪を主張しムンバイにあるインド門からイギリスへと船で帰る。私はよく自分の旅行体験と小説の舞台を照らし合わせるのだが、(例えば罪と罰を読んでサンクトペテルブルクの街並みを散歩したり、トルストイの生家を訪れて戦争と平和が書かれた部屋を見て感慨深い気持ちになったり) 私も実際にムンバイのインド門を訪れた時の思い出をよく覚えている。立派な門だった。ムア夫人もここに居たのだろうか。彼女の目にインドは非常に興味深く好奇心に満ちた国に思えたようだ。

 私はファースターが好きな作家であると認めよう。ハワーズエンドから眺めの良い部屋。そして彼の集大成のインドへの道。イギリスで一番好きな作家もしれない。ハワーズエンドの方が一般的には彼の代表作だと認知されている。確かにあれもドイツ系とイギリス系をコネクトさせる物語だ。でも所詮、ヨーロッパ人同士なのでそんなに繋ぎ合わせるのは難しくない。彼はこの作品で作家としての地位を確立した。そして寡作だった彼の最後の小説が本書である。私のトップ10に入るお気に入りだ。人物描写、インドの建物、乗り物の象だったり、インドのマンゴーの木、フォースターのインドでの暮らしが生き生きと正確に描写されていて、とても優れた作家だと思う。並みの作家よりも頭一つ飛び抜けている。ハワーズエンドよりもインドを舞台にしたアジア人を物語の主人公にしたインドへの道を私は皆にお薦めしたい。

 

 

 

 

 

 

 

大地のうた

こういう美しい小説が誰にも読まれずに埋もれているのは勿体無い。Amazonのレビューは誰も書いてない。長らく絶版になったいたのを2008年に新装されたのが本書。ベンガル語からの翻訳でとても瑞々しい日本語。翻訳者に感謝したい。カースト制度の最上位のバラモン階級ではあるがその日暮らしの乏しい家庭で生まれたオプーと姉のドゥルガ。大地のうたは少年オプーの成長期だ。ベンガル地方の片田舎の豊かな自然に囲まれ育ったオプーは筆者の幼少期の体験が色濃く反映されていてオプーは著者の代弁者だ。ベンガル地方は今で言うコルカタバングラデシュにあたりマンゴーの木や沼地、河川、緑が手付かずのまま残っている。筆者はベンガルの自分が生まれ育った村の風習や文化、自然との共存を見事な筆捌きで表した。とても静かに語りかけるような文体で自然描写が多く私は読書中、豊かな気持ちで満たされた。読書が大好きで父親のホリホルの本を乱読し空想好きのオプー。弟とは対照的の姉のドゥルガは毎日、朝から晩まで外で遊ぶのが好きだ。厳しい母親は子供たちに叱りつけたりするがそれでも愛情深くいつも子供たちの味方だ。オプーの村の子供たちとの友情だったり森での散歩、河川での釣り、自然との調和はとても幻想的でどこか懐かしい気持になる。最後に家族が豊かな生活を求めるためにベナレス(バラナシ)に引っ越す事が決まり鉄道から自分の生まれ育った村を回想する所で物語は終わる。1929年に大地の歌は出版されたが、著者のボンドパッダエの文才には些か驚いた。私たち日本人はインドの文学に疎いがインドにも彼のような立派な小説家がいるのだ。私の好きな場面はオプーが河で釣りをしながら空想に耽る所だ。河川の向こう側に広がる草原を眺めているとふとフランスのジャンヌダルクの生涯が脳裏に浮かぶ。勿論、ジャンヌダルクは読書から得た知識だ。続いて小舟に乗りながら、自分もいつかイギリス人のように世界中旅して未知なる国を訪れる機会があるだろうか?自分のような乏しい人間でも偉大な人生を歩むことが出来るだろうか?いや自分の夢は絶対に叶う!オプーの全く根拠のない自信に私は励まされたような気持になった。筆者の優しさもあるのだろう。まだまだ我が国では欧米文学が巷で溢れているが、アジアの文学も忘れてはならない。ベンガル人は非常に読者好きだそうで定期的にコルカタとかの大都市でブックフェアが行われている。大地のうたは私に異次元の読書体験を与えてくれた。ベンガル語が日本語に訳されている事なんて知らなかったし非常に貴重だと思う。本書が全国の書店に文庫化されて多くの読者に読まれるのを期待してレビューを書きました。

 

大地のうた

大地のうた

 

 

 

アルトゥールの島

 モランテのアルトゥーロの島を読了。ナポリを南下し地中海にある架空の島が舞台の物語。主人公のアルトゥーロはまだ14歳の少年である。面白くて魅力的な設定。14歳の思春期で移ろいやすい性格を巧みに描いている。中山エツコ氏の新訳も素晴らしい。