遠いやまなみの光

 前回、レビューした浮世の画家がとても良かったのでイシグロのデビュー作でもある本書を読了。ちょっと不明瞭な部分があって正直、解りにくい作品だと思った。悦子は外国人の男性と再婚してイギリスの田舎に住んでいて、長女の景子は自殺して次女のニキとの会話から物語は始まる。この作品も戦後の復興期の日本の長崎が舞台で浮世の画家と同様に過去の回想を用いる。最初の夫は日本人で彼との別れた経緯は全く分かっていない。悦子と現在の夫との馴れ初めも分からない。また現在の夫も物語には一度も登場しない。いくつかの不明点があっても私が最後まで読めたのはイシグロの手腕だと思う。実際にイシグロは長崎で幼少期を過ごしてから一家でイギリスに移住した。だから小説の中の長崎はイシグロの自らの体験を再現していると思われる。まだデビュー作なのでこれから上達する前の段階なのでちょっと物足りない思った。でも良作。長崎の山の麓へとケーブルカーで遠足に行くエピソードが印象に残った。情緒的で過去を振り返る懐かしさがあった。

 

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

華氏451度

 華氏451度は映画がとても良かったので小説も読んでみた。沢山の書物からの引用があるので、本好きにはたまらない物語だ。旧訳と新訳を両方持っていたが新訳の方がいいと思う。焚書って言葉はちと古臭く新訳には相応しくないので昇火という造語を使ってたのが良いと思った。まず一番驚いたのは映画版の華氏451度は小説とは大分違うストーリーになっている事だ。小説ではクラリスという少女が登場するが映画には記憶が曖昧で申し訳ないが、確かそのような人物は出てなかったと思う。また原作では上司のベイティーをモンターグが殺害する筈だがこれも映画版には無かったと思う。それでもかなりの脚色が加えられた映画版も充分に楽しめる内容になっている。勿論、原作の小説も面白い。ディストピア小説といえば1984素晴らしい新世界侍女の物語と本書が定番だと思う。その中でも一番本書が読み易いと思った。登場人物が少なくストーリーもシンプルで何よりも長編というよりは中編小説ぐらいのボリュームだからである。歴史を振り返るとナチス焚書が有名であるが、実際に本は人間に多くの影響を与えるとても重要な存在なのだ。私も焚書なんて現実の世界で起きたら多分野たれ死んでいると思う。読書は精神安定剤であり、本を読むことは生きていくためのエネルギーにもなる。

 

 

華氏451 (字幕版)

華氏451 (字幕版)

 

 

 

浮世への画家

 カズオ・イシグロの浮世への画家を読了。彼の著書は日の名残りを読んでから2作目である。以前に充たされざる者と私たちが孤児だったころを読破しようと挑戦したが、冗長だったり時間軸が急に飛んだりして混乱して途中で読むのを諦めてしまった。しかし、本書は明瞭な一本のストーリーだったので非常に楽しみながら読んだ。本書で賞も受賞していてカズオイシグロ出世作であり初期の名作とも言える。飛田茂雄氏の翻訳も名訳でカズオイシグロの第一級の翻訳である。

 読了後、非常な満足感とノスタルジアな気分に浸っていた。とても美しい小説だ。舞台は太平洋戦争終了後、1948年からの丁度戦後の復興期の日本である。画家として成功を収め美術界でも相当の権威を持っている小野の回想録である。戦前から大変な才能の持ち主でもあった小野は仲間と共に絵画修業に励みみるみる頭角を現す。自らの信念に従い師匠と決別してまでも自分の画家としてのスタイルを貫こうとする。小野自身はとても野心的な人物なのである。戦時中に愛国心を煽るような画風を描いて日本国民を悲惨な目に遭わせたのではないかと、罪悪感混じりに過去を振り返る。自分の娘の節子からの助言をきっかけに昔の旧友や弟子に会いに行き過去と立ち向かおうと決意する。小野の絵画の見方や情熱には驚くものがある。誠実で彼の人柄の良さは読者に多くの希望を与えてくれると思う。読んでよかったなと思える作品。

 

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

世界の果てのビートルズ

 またいい本に出会えた。タイトルが気に入ってずっと読んでみたいと思っていた。フォンランドとの国境付近のスウェーデン最北部の物語だ。著者のミカエル・ニエミの半自伝的小説である。スウェーデンの首都のストックホルムは縦に長いスウェーデン国土の南に位置していてニエミの出身地であるパヤラ村は首都の大都会ストックホルムから遥かに離れた場所にある僻地だ。スウェーデン最北部ではスウェーデン語では無くその地方独特の訛りのあるフィンランド語が使われている。

 パヤラ村にアメリカから来た親戚の子どもが持って来たビートルズのレコードを聴いて初めてロックミュージックに出会う。はっきり言えば田舎が小説の舞台である。凍てつく寒さと川の凍結を除けば何も無い土地で主人公のマッティはロックミュージックに目覚める。やんちゃで無鉄砲な少年期と青年期が物語のテーマである。フィンランド式のサウナで親族と我慢比べをしたり、ネズミ駆除のアルバイトをしたり、初めての女の子とのデートであったり、死んだ婆ちゃんが生き返ってきたり、シベリアに流刑された男の話だったり面白いエピソードが沢山ある。著者のニエミはパヤラ村で大変豊かな思春期を送ったのでは無いだろうか。それに加えて北欧の僻地の自然の厳しさだったり美しさが描かれていて極寒の寒さが伝わってきた。少年たちは無茶をする。密造者で何杯飲めるか競争したり空気銃で争ったり。怪我したり痛い思いもするのだがそれでも彼らは人生を楽しんでいる。

 タイトルは英訳ではpopular music from Vittula で 恐らくこのタイトルでは買わなかったと思う。邦題は世界の果てのビートルズだが実際のところビートルズは殆ど出てこない。このタイトルは訳者の意訳だと思うがとても良いと思う。好奇心が湧くタイトルだし面白そうだ。英語からの二重翻訳だが、全く問題無く読めた。本国スウェーデンで本書はベストセラーになったそうだ。

 

世界の果てのビートルズ    新潮クレスト・ブックス

世界の果てのビートルズ 新潮クレスト・ブックス

 

 

 

トニオ・クレーゲル

  マンの代表作は魔の山である。私の愛読書であるがマンの中編小説もすごい。トニオ・クレーゲルもまさしくマンの代表作の一つだといっても過言ではない。映画でも有名なヴェニスに死すの方が知名度は高いと思うがあの作品は年老いた男の少年愛を書いた作品でちょっと私には理解出来ないところがあった。トニオ・クレーゲルの方が私は遥かに好きになった。

 トニオは詩人であり苦悩と孤独、自分の健康を損なってまで芸術に身を捧げるのである。寧ろ苦悩が彼の芸術精神をより高めるのである。トニオは平凡な幸福、健全な精神が宿っている人たちには優れた芸術作品は書き得ないと言う。それでもそんな彼らを愛してすらいる。多少の軽蔑はあっても。

 物語は彼の少年時代から始まる。クラスの人気者であるハンスに憧れを抱いていたトニオは彼と一緒に散歩に行くのが楽しみである。しかし瞑想家のトニオと乗馬好きで活発なハンスとは真逆の性格である。トニオは青い目のハンスを愛していた。少年期には同性に好意を抱いたりするのはよくある事だと思う。青年期にはインゲボルグに恋してしまった。彼女には好きだと告白できずに自分が舞踏会で失敗して恥をかいて彼女に笑われてひどく落ち込んでしまった。大人になって詩人として成功したトニオはインゲボルグとハンスに再開するがまたしても彼の声は二人には届かなかった。話しかけられるのを待っていてもやはり二人は彼の部屋を訪れることはない。

 この作品はマンの自画像が反映されていて最もマンの人間性に近い。主人公のトニオがクレーゲル領事の息子なのもマン自身の祖父がオランダ領事だったからである。美しい小説だと思う。若者の多感だった頃の過敏な感受性をよく描けていて多くの読者はトニオに共感したのではないだろうか。

翻訳は新潮文庫河出文庫の両方で読んだが、新潮の方は文体が手馴れていて訳者の高橋義孝氏の手腕が発揮されている。河出でも勿論構わない。寧ろ河出には挿絵が収録されているので自分の想像力の手助けになってくれると思う。兎に角いい作品だったので本書に出会えて本当に良かった。

 

トーニオ・クレーガー 他一篇 (河出文庫)

トーニオ・クレーガー 他一篇 (河出文庫)

 

 

 

カフカ 城

 長い読書だった。カフカの一番長い小説である城を読了。数年前に一度挑戦したが、フリーダと学校の教室で寝込む箇所で挫折したのだ。でも今回は何とか読破。測量士であるKはある村に派遣されたがいつまで経っても目的地である城にたどり着けない。松岡正剛氏は城の読後感は何も残らない。しかしそれがカフカなのであると評したが確かに未完の作品なので結局何も分からずじまい、一切の伏線を回収しないまま物語は唐突に終わってしまう。カフカの作品は一般的に不条理小説と云われているが、お役所的な煩わしさに翻弄されて目の前に城があるのにも関わらずいつまで経っても城に入る許可が下りない真に不思議で非合理な世界だ。縉紳館、橋屋、学校をたらい回しにされたKは自分の義務を果たすために城の役人と接触を試みるがことごとく失敗に終わる。まず第一に城のクラム長官に仕事を依頼されたKだが村長の手違いで実際には測量士は城に必要無かったのだ。クラムの愛人であるフリーダとKが恋仲になって彼女は働いていた酒場を首になり追い出されてしまう。学校の教室で暮らす事になったが二人だがKが外出中にKの助手であった男とフリーダは恋愛関係になってしまう。Kもエルザという城で働いているバルナバスという男の姉妹に好意を抱くようになる。フリーダの代わりに酒場で働くようになったペーピーもKと一緒に暮らそうと告白する。村長や宿屋の女将さん、在村秘書との会話で城の旧態依然の官僚システムの全貌を掴んだKだが結局最後まで城に出向く事は無かった。登場人物のそれぞれに思惑や勝手な憶測があるのでそれはそれで大変面白かった。城は長く読み継がれている傑作だが登場人物も多くまた600頁もある長編なので一回読んだだけでは細部までよく分からなかったというのが本音だ。再読しないといけない。

 

城 (新潮文庫)

城 (新潮文庫)

 

 

 

灯台へ 再読

 ウルフの灯台へは前回みすず書房から出ている訳で読んだがちょっと絶版の上に古い訳だったの改めて今度は河出書房の新訳で読んだ。今一般の書店で「灯台へ」が手に入るのは河出書房か岩波文庫かで私は迷わず河出書房の鴻巣氏の訳を選んだ。まずハードカバーなので字が大きく見やすい、また表紙が一面青なのもいい。この小説のイメージにピッタリだ。岩波文庫でも良いと思うが作品への解説、ウルフの年譜が河出書房の方が充実してて作品以外のウルフの生涯も分かるので作品をより深く知るのにも良いと思う。なぜなら灯台へはウルフの自伝的要素が色濃く反映されているのだから。

久しぶりの再読だがやはり名作だと思う。作品全体が詩を読んでいるようで美しい。ウルフの代表作は灯台へかダロウェイ夫人だと思う。私は断然灯台へが好きだ。ダロウェイ夫人は大都会のロンドンで生きる人たちをダロウェイ夫人を中心に内面の描写を書いた物だが、こちらの灯台へスコットランドの海が見える浜沿いの別荘が舞台なので都会には無い、海や浜辺、砂、自然の美しさがある。登場人物も魅力的な人ばかりだ。8人の子供を抱えるラムゼイ夫人は絶世の美女で誰からも愛されて尊敬されている。夫のラムゼイ氏は気難しく自分に自信が持てず精神的に不安定だ。妻や子供たちまでにも同情を買って貰おうと必死だ。氏は哲学者であり夢心地のような気分で思索に耽りブツブツと独り言を言いながら別荘の庭を歩き回っている。夫人は夫を愛してはいるが怒りっぽい夫に怯えているところもある。子供たちも父親が怖い。末っ子のジェイムズは母親が大好きでいつも一緒に行動を共にしてる。別荘にはウィリアムバンクスと言う名のラムゼイ氏の幼馴染や、子供たちから莫迦にされているチャールズダンズリーや多くの人が行き交う。画家のリリー・ブリスコウもその内の一人だ。ラムゼイ氏の別荘で彼女は絵の鍛錬に励む。

 ダロウェイ夫人もそうであったが物語は登場人物の内的描写を軸に進んでいく。灯台へも語り手が次々に移行していくのでたまに誰の内面描写か分からなくなる時があるが、それは大して重要でもないのでゆっくりと読み進める。物語は3章からなっていて1章では別荘での1日を詳細に意識の流れとともに描く。2章ではラムゼイ夫人は既にこの世から去っている。子供も二人死んでいる。別荘が売りに出されるというのでマクナブ婆さんが跡片ずけをしに来る。最終章ではようやく念願だった灯台行きが十数年の時を経て実現するがラムゼイ氏に付き合わされて嫌々ジェイムズと姉のキャムが一緒に行く。

第1章のラムゼイ夫人が主催者となった夕食会の場面は中々面白かった。バルザックトルストイなどの私が知っている名前が出てくると嬉しい気持ちになる。ラムゼイ夫人は言う。どうしてロシア人の名前はあんなに長いのでしょうね。ごもっともだ。私もそう思う。

 後に意識の流れと云われる今までに無かった内面の奥深くを掘り下げた描写の仕方は全く画期的だった。プルーストと並ぶモダニズム文学の代表がウルフである。美術評論家のジョンラスキン、小説家のディッケンズ、ワイルド、画家のミレイを輩出したイギリスの文化が栄えた絶頂期がヴィクトリア王朝時代であった。そこからどうやって全く新しい、既存の芸術から脱却すべきなのかウルフの試行錯誤の結果、灯台への名作を生み出したのだと思う。ウルフの友人で彼女が主催したブルームズベリーの会員であった同じ小説家のフォースターの存在も大きかったのだと思う。私はフォースターのインドへの道と、ウルフの灯台へがイギリス文学で一番好きだ。家の本題に置いて繰り返し読みたい本である。