失われた足跡

 カルペンティエルの失われた足跡を読了。勿論、メキシコ旅行中にラテンアメリカ文学を読もうと思い本書を買った。都会で虚しい生活をしていた音楽家が幻の楽器を手に入れるために密林への足を運ぶ冒険小説だ。元々カルペンティエルは音楽の評論家らしく本書の中にもかなりの音楽の楽器の専門知識が出てくるので途中何がなんだがさっぱりわからなかったがそれでもボートで南米のアマゾンの奥深くに冒険する姿は面白くないはずがない。現在の文明社会からは取り残された原住民との交流。アマゾンの自然の豊かさや厳しさを乗り越えて幻の楽器を手に入れるのだ。アマゾンの秘境に地図には載っていない村がありそこで主人公は旅先で出会った恋人と一緒に生活し本来の音楽家である彼が作曲活動に没頭する。主人公の妻が彼の行方が知れず心配し捜索願いが出される。ヘリコプターが彼が住んでいる村を見つけようやく現在の都会に帰ることになる。正直にいってダラダラ読んでいたので人物の名前や時系列はよく覚えていないがまあ最後まで読む価値のある小説だと思う。筆者のカルペンティエルはヨーロッパ人のなので(長い時間南米に住んでいた)果たしてこれを本当のラテンアメリカ文学といっていいのかは疑問だが密林での描写は筆者の南米のジャングルでの調査旅行を基に書かれた実体験である。訳者の牛島信明氏の翻訳は良く、メキシコ旅行中にドン・キホーテ博物館に行ってきたので牛島氏の翻訳のドン・キホーテも読みたいと思った。

 

 

 

メキシコに行ってきた!!!(アイフォンを盗まれた!!)

 ちょっと睡眠導入剤を飲みながら旅行には行っている。もう心身ともに疲れ果てているが旅行は続ける。旅行自体は楽しい事だけど辛い時も勿論ある。唐突に訪れる理不尽にあってとても落ち込む時がある。自分のメンタルの弱さにびっくりするが何とか薬でカバーしている。今回はメキシコに行ってきた。中南米の国に行くのは初めてである。アエロメヒコ航空で直行便が出てると聞いて行くしかないと思った。ろくにスペイン語も喋れないまま行ったが、案の定、英語はあまり伝わらなかった。でも今回の旅行はとても充実していた。世界遺産だけでも5つも行ったし6つの都市に滞在したのでかなり移動の多い忙しい旅行になった。だから疲れがあったのか、慣れて油断してたのかバスターミナルでアイフォンを盗まれたのだ。もう6年使っていた携帯でそろそろ買い替えようと思ってた頃だったのでまあそんなに気にしてないけど。でももう後ろのズボンのポケットに入れるのは辞めておこうと思った。

 やはり実際に行って現地を探索する事によって気づいた事が沢山あった。メキシコの物価の安さやメキシコ人の厚い信仰心など。人々が教会の前を通る時に必ず十時を切る姿を何回も見かけた。またスペインの植民地だったのでヨーロッパ風の美しい建物が沢山あった。私もスペインに行った事があるのでメキシコのコロニカル都市のプエブラやグアナファトは確かにバルセロナマドリードに似ているなと思った。またメキシコ人の陽気な国民性はスペイン人の明るい性格と通じるものがある。アジア的価値観とは全く異なる価値観を持つ中南米の人達とのコミュニケーションを取ることは難しく感じたし私が彼らの習慣にあわせていく必要がある。でも初めてのラテンアメリカへの旅は新鮮でもあり面白い体験だったと思う。

 

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世界遺産テオティワカン。。あまりの大きさに近くからは写真にも全てが映らない。頂上まで登るのに疲れ切ってしまった。個人的にはやや殺風景で物足りなさを感じた。

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ケレタロの美術館の絵。無名の画家の絵だと思うけど美術館の建物自体は立派で絵も素敵だった。でもケレタロのバスターミナルで携帯を盗まれたしタクシーの運転手やバスのスタッフも釣り銭を誤魔化したりあまり親切ではない。ケレタロは治安が悪い印象を受けた。

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メキシコを代表する画家のフリーダとリベラ。

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リベラの壁絵は圧巻。

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タスコの街並み。メキシコの人々はとても信仰深い人達で街の至る所で教会を見かけた。

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メキシコといえばタコス。街を歩いていればどこにでもタコスの店があるメキシコ料理の定番。すっかりハマって沢山食べ歩きをした。美味。

 

 

インドへの道

 フォースターの代表作でもあるインドへの道を読了。彼は異なる価値観を結びつける事を主題にしてきた作家だ。今回も同様にイギリス人とインド人、支配者と被支配者をどうやって宥和できるかという非常に難しい問題に取り組んだ。 私はインドとイギリスもどっちとも好きな国だ。両方の国にも旅行に行ったことがあるので現地の人達の性格も多少わかる。イギリス人は皮肉屋で階級社会で世界中を支配してきたというプライドがあり神のように傲慢な態度をとる。イギリス旅行中はイギリス人は冷たくて個人主義的な人達だなとしか思わなかったがそれでもイギリスへの憧れは消えない。一方、インドはカースト制度があり女性の社会進出はまだまだ遅れている。私はインドには過去二回渡航しインド人の優しさや親切心を知っているのでインドを舞台にした小説は大変面白く読む事が出来た。インド人医師のアジズとフィールディング学長との友情は素晴らしい。フォースターはなぜここまで東洋的な性格を理解出来たのだろうか。勿論フォースターがインドに複数回、足を運びインドの文化に直に触れたのが要因だろうが、エピグラフにもされている彼のインド人の友人の存在が重要だろう。フォースターはインド滞在中にマスードというインド人弁護士の家に厄介になっていた。一方マスードがイギリスに来てオックスフォード大で勉強している時に2人はスイス旅行に行ったりしてる。そして彼らの親交があってこのインドへの道が書かれたのだ。話を小説に戻るが私は同じアジア人としてアジズ医師に非常に共感した。特に西洋への捉え方が。西洋人は肌の色も違うし喋る言語も違う全く異質の存在なのだ。おまけにインドはよそ者のイギリス人に支配されながら生活しなければならない。その事についてはとても不満がある。また一方ではイギリスにとても好意をもっている。呪文で解決出来ない問題は医学で解決するのを教えてくれた。またイギリス人たちとの友情も大事だ。その存在がフィールディング学長と同様にムア夫人である。ムア夫人の息子のカレンダーは傲慢でインド人を見下している嫌な男だ。殆どの在印のイギリス人は仕事の付き合い以外においてインド人との接触をを持とうとせず寧ろ軽蔑すらしている。しかしムア夫人だけはアジズ医師を心から良く思っている。だからアジズは個人的な関係においてはとてもイギリス人が好きなのだ。小説の中でのインドの季節や自然、食事、生活スタイル、宗教、遺跡などの描写はとても正確に書かれていると思う。実際に私のインド旅行の体験と照らし合わせてみて尚更そう思う。 フォースターは当時91歳まで生きた大往生した人物だがインドは彼にとって特別に思い出のある場所なのだと思う。また再読したい。

 

インドへの道 (ちくま文庫)

インドへの道 (ちくま文庫)

 

 

 

母と息子の囚人狂時代

見沢知廉である。私自身は中学校は一年の一学期を除いて全く学校には通わなかった。誰かにイジメられているという訳ではなく単純に勉強についていけなかったのが不登校になった理由だ。家に引きこもってドストエフスキーの本を読むようになってから見沢知廉の存在を知ったのだ。そして彼の言葉によって励まされた。「ヤンキー、アウトロードロップアウト、あんたらこそ文学を目指せ」と見沢知廉の著作の「日本を撃て」で述べてある。12年間の刑務所での償いの日々を過ごし、出所後小説家として文筆一本で生きている見沢知廉だからこそ云える言葉である。私も過去に色々あって一生罪の意識を背負いながら生きていかないといけない。見沢知廉ドストエフスキーよりも苦しみ悩み続けた偉大な人物だと思う。私もよく自殺出来たらどれだけ幸せだろう、死をもって全ての苦しみから解放されたいと思う時がある。劣等感、孤独感、乱れた私生活への罪悪感が苦しい。でも見沢知廉も苦しんでいたのだから私一人が辛いのではないとわかり安心した。母と息子の囚人狂時代は、母と子の絆により長期懲役刑に耐え得た男の話である。人間は一人では生きていけないのだ。見沢知廉には立派で理不尽な目に遭っても不満すらこぼさない強い母親が側にいたのだ。母と子の絆で駆ける虹の道。

 

母と息子の囚人狂時代 (新潮文庫)

母と息子の囚人狂時代 (新潮文庫)

 

 

 

夜と霧

 初版は2002年ではあるが私が購入したのは2016年の29刷のである。これだけ長く読み継がれている歴史的な名著なのだ。著者のフランクルは心理学に精通した人で学生時代にはフロイトに師事していた。学術的な専門用語も頻出するのでしっかり噛み砕いて読まないと理解出来ない。強制収容所でのいつ死ぬかわからない過酷な状況下でフランクルは内的な力で外的な圧力を乗り越えたのだ。収容所での凍死するような寒さや強烈な飢えの苦しみを彼は未来に目標を持つ事によって打ち勝ったのだ。本書にはこのような文言がある。「まっとうに苦しむ事は、それだけでもう精神的に何事かを成し遂げる事なのだ」もう一つ印象に残ったのは「わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、生きる事がわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ」っとフランクルは収容所で自分の思考を働かせ生き残るための知恵を身に付けたのだと私は思う。

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 


 

眺めのいい部屋

フォースターの眺めのいい部屋を読了。すっかりハワードエンドを読んでからフォースターの小説にハマってしまった。翻訳の質があまり良くないので読む側にも読解力が必要になってくるが、その苦労を感じさせないほどこの小説は面白い。物語は主人公のルーシーがイタリアのフィレンツェを旅行する所から始まる。私自身もイタリア各地を旅行したがフィレンツェが一番好きな都市だった。私の個人的な感想だが教会や美術館よりもフィレンツェに住む人々が好きになった。非常に人生を楽しんでいるなという印象を持った。フォースターも自身のイタリア旅行の経験を小説の題材に使ったのだと思う。フィレンツェでのルーシーとジョージとの出会い。そこでの出会いで恋は実らなかったがイギリスに帰国後ルーシーとジョージは偶然の再会を果たす。ルーシーには既に婚約者のセシルがいたが、それでもジョージに魅かれている自分に戸惑う。ラストはハッピーエンドでやや平凡で何箇所か腑に落ちない部分もあるがそれでもフォースターの圧倒的筆力で最後まで読み通した。フォースターの人物描写とイギリスの豊かな自然描写は本当に美しいと思う。

 

眺めのいい部屋 (ちくま文庫)

眺めのいい部屋 (ちくま文庫)

 

 

 

ハワーズ・エンド

  フォースターのハワーズ・エンドを読了。いやあ面白かった。久し振りに読破できた本に出会えた。20世紀初頭にはイギリスから優れた小説が沢山誕生したがフォースターの作品もその一つだ。題名のハワーズ・エンドとはロンドン郊外にそびえ立つ邸宅の名前で物語のキーポイントになる場所だ。ドイツ系のシュレーゲル姉妹と資産家のウィルコックス家の人間関係を描いた物語だ。実質的な主人公はシュレーゲル家の長女のマーガレットで彼女の成長を読者も見届けることになるだろう。フォースターは階級や人種の違う人間同士の衝突や結び付けを描くのが実にうまい。それは彼自身の旅行経験や育ちに影響しているようだ。著者の経歴に少し触れると、フォースターは建築家の息子としてロンドンで産まれた。そして典型的な上位中産階級の家庭で育った。彼の生い立ちからすれば上の人間も下の人間も客観的に見ることが出来た。本書も中産階級のシュレーゲル家と地主である上流階級のウィルコックス家との階級差による隔たりをどうやって乗り越えて一つになるかをフォースターは書いたのだ。彼の代表作である「インドへの道」も人種間の問題を取り上げている。元々旅行好きだったフォースターはイタリア旅行の経験を下敷きに「眺めのいい部屋」を書き、インドにも複数回、足を運び「インドへの道」を上梓した。フォースターはヴァージニア・ウルフのブルームズベリ・グループのメンバーでそこでの集いでウルフ姉妹や他の知識人たちと大いに芸術や文学について話し合った。私が察するに討論好きだった人だと思う。本書は私の本棚にずっと残しておきたいと思う小説だ。

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)